2015年8月13日(八段語録2503)
超ウルトラバカ
今も、批判を受け、正論を話しながらも弁解もせず、貫くのですから、自分でもどうなっているのかと思うのですが、長いものに巻かれろというようにはいかないようです。この主張が、古かろうが関係のないことです。論破されようが負けようがそれでも主張するのが私の意志という事です。内容を異にするといって、離れてしまう弟子もいますが、それでも未来の極真の為に譲ることは無いのです。彼らから見たら、時代の遺物のような負け犬に見えようが、ただまっすぐに進むだけです。私の主張は必ず最後は勝つと思っています。私の主張は天地の法則であると確信しているのです。同性愛に関しても、はっきり主張します。ダメなものはダメなのです。ずっと長い間、正しい伝統を立ててきました。また主張してきました。空論ではないのです。迎合しないゆえに、平坦な人生にはならないと腹を決めているのです。
さて、今回の応援にしても、個人的な利益の為に走って応援しているのではないのです。誰が見ていようが見ていまいが、地域社会と国の為に黙々と行動していれば、別に言葉で、どんな約束事もいらないという事です。深く、多くの人と結ばれていれば、それで満足なのです。能力を備わった人が、政治に関しては、担当すればいいだけの話であって、自分のポジションで、能力に見合った、役割を演じれば良いのであって、誰かをうらやむこともないという事です。見えないところで至誠を尽くせばいいだけの話であって、そのような人が最後まで信じることができるし、残ることができるという事です。私はそのような人を目指したいし、誰からも重宝がられて、宝になればそれで満足という事です。
極真会館での修業は、結局のところ、今の私を作り上げているのです。そして、何に対しても一生懸命であるという事です。森家の家風も私を代表するような実体人物を作り上げようと、骨折り損のくたびれ儲けという所でしょうか。私は我が家の為に、肥料になって、子孫のために道を開いているという自覚を持つのです。誰に対しても、一度信頼すれば、決して私から裏切ることは無いのです。そのような人生を歩んできました。簡単に極真会館に入門して、簡単に退会していった人は多いのですが、それでも、一人一人を大切にして、深刻に一人一人に関心を示してきました。そして、道場生が希望の的となることができるように応援してきたのです。
もちろん、道場生にも、自分一人だけの利益の為に生きるようでは、このグループの指導とは違うとはっきり言います。そして、そうであれば光を残すことはできないと宣言しているのです。最後まで残る人は、極真と共に歩むことに誇りを持っていく人であると思っているのです。私はというならば、一般的な発想をする人にとっては、ウルトラバカという事でしょう。それで「どこが悪い」と開き直って、「何を」と言わんばかりの私であると思うのです。直接のスタッフの皆さんは、私のウルトラバカを、どうしようもないと諦めていると思うのです。それでも生涯このウルトラバカを貫こうとするのです。