2015年8月3日(八段語録2493)
両親の偉大さ

 人生で欲を貫くという事は、私には自覚するぐらい理解できることですが、
自己犠牲を貫くという事は、実に勇気がいることです。もちろん、東日本大震
災の時は、無我夢中で奉仕を重ねるのが当たり前という気持ちで過ごしたこと
は確かです。結局奉仕とは、そうするような状況に追い込まれようが、自ら進
んで貢献しようが、自分以外の為にするという事なのです。私は根本的に自由
を好みますので、結構放縦な生き方を選択したものです。それでもいい加減な
人生観を前面に出そうとはしないという事です。あくまでも、最高の理想を求
め、愛情を掴んでいくという立場を維持しようとするのです。これは、私だけ
ではないと思いますが、特権であると思っています。どのような人が悟りを開
いた人であるかというならば、月山信仰に見るように、生き仏になるという事
だけではないようです。その生き仏として葬られた修行僧であっても、それ以
前は、多くの民衆の為に尽くしたという事であると思うのです。
 さて、この年になって、笑われてしまうかもしれませんが、理想的な生き方
として、「為に」生まれ「為に」生き、「為に」死んで行けたら十分であると
思うのです。いろいろとあるのですが、柔和謙遜という事が大切かもしれませ
ん。我が家では、経済問題を叩き込まれました。母が先頭を切って、節約・倹
約の切り盛りをしてきたのです。お金を使わないような家庭生活をしてきまし
た。年に一回、仙台七夕の日に、氷水を食べるのが唯一の外食でした。そして
、母がお菓子からデザートに至るまで自分で作ってくれたのでした。食事も栄
養価の高い食材を安く仕入れて食べさせてくれました。私も買い出しに行くの
ですが、今でも覚えているのが、魚屋さんに行けば、アラを買ってくるという
事でした。肉屋さんに行けば、細切れを買うのです。それを上手にカレーに入
れたり、野菜炒めにしてボリームたっぷりの食事になるわけです。その姿勢が
徹底的に染みつくぐらい身に付きました。その結果、私の学生時代はお金を持
って学校へ行ったことがないのです。それでも不自由したことがなかったので
す。社会に出てからも、自分の小遣いが一か月、一万五千円を超えることもな
かったのでした。
それだけでなく、母の買い物は、家一軒であったり、アパート一棟であったり
するわけです。支出するお金が一挙にまとめて何千万円というお金を現金で買
うのです。普通の人は、ローンを組んで大きい金額の張るものを購入するので
すが、銀行で契約するのですから、腹が座っているという事なのだと思うので
した。母は汗水流して稼いだお金を、ある時期になると、三人兄弟に平等に分
配するのです。まして、遺産相続など見事なものです。自分の分は寝る部屋だ
けの権利だけで、ほかのものは、兄弟に平等に分け隔てなく与えてしまったの
です。そのような生き方をした両親は、子供たちだけの為に生きた人であると
いう事が如実にうかがい知ることができるのです。私にとって、両親は自己犠
牲と奉仕で生きた人であると思ってしまうのです。
今日は、畑で野菜を取りながら、10日余りの戦いの癒しをしているのでした
。かなり疲れました。それだけに自然は優しく迎えてくれます。