2015年7月30日(八段語録2489)
戦いはまだまだ

 私の血脈に流れているものは何かということ、両親の精神であり、私を育て歩んできた生き様ということです。そして、その伝統の中で育ち、受け継いできたのですから、あらゆる環境で、我知らず、両親の気持ちで物事を判断し、采配を振るっているということになるのです。特に、空手試合では、切迫感、逼迫した気持ちが内情に迫ってくるようになるのでした。そして、戦い勝ち上がった時には、人知れず、両親に感謝しながら、歩んできた道が、必ずや栄光の道であるに違いないという確信を持つのでした。今回もあったのですが、いわれない中傷、陥れようとする策略、そんなことも、原因を突き止めて、呪うのではなく、状況を正しく把握して、差し迫った事情をより切実に感じて、どのようにしたら最高に対応することができるのかということを静かに瞑想したものでした。
 何はともあれ、私自身行動してきたことが、汚されてはいけないということを強く思ったものです。そして、行動したすべてが、正しいものとされ、聖なるものとしなければと思うに至ったのでした。地域社会を二〇回は回ったのでしょう。意外と見知らぬ人にも出会って、訳もなくお願いしたいという気持ちになるものです。このような気持ちが、今まで続きましたし、これからも続くのであると思うのです。このような気持ちは、瞑想している時よりもはるかに貴重であると思うのです。そして、私が応援団の最前線で戦っているということが、何とも誇りに感じるものでした。
 結局そのような行動は、最前線の活動において、体験する様々な人間関係ということであり、そのような事で、自分が訓練され、ある基準以上の人格を形成されるようになるのだと思うに至ったのでした。それは、利他主義の最高峰であると認識しているのです。私は、あえて、現状に安住せずに、私を育て育んだ親父のような人間になりたいという気持ちが強いのです。親父の人生の土台の上に、今の私の活動があると思っているのです。息子の将来を希望として、人生を歩んだ親父ですから、それに答えたいという気持ちは、人一倍強いのです。
 今日も激しい戦いの連続でした。気温は三十度以上にうなぎ登りですし、街行く人もまばらということです。車の中はもう四十度も超える勢いで、熱中症になる一歩手前ということです。エネルギーのすべてを投入して、限界に挑戦するのは、久しぶりということですが。先回は、この期間、断食をして戦った思い出が残っています。必死さの基準は、だれにも負けないというレベルの樹立が自分の願いです。そのような一日を終えようとしています。本当に疲れていますが、まだまだ投入しきれない事を、すべて完結させたいという思いになります。