2015年7月29日(八段語録2488)
今日もし烈な戦い

 今日も激しい戦いの真っただ中です。あらゆる事情と環境を超えて、どんなことがあっても勝利を果たすという信念が、私には広がります。勝利を叫ぶ前に、躊躇するようなことにでもなれば、とんでもないことになります。どんな人間関係でも乗り越えていく決意の連続です。決して、目標を前にして、背を向けていく立場には立たない努力です。これは、おやじからの遺言のようなものです。最後まで全うして初めて、一人前になれるのであって、途中で挫けてどうするということが親父の言い癖でした。最後の絶頂の道は、勝利しなければ、何の意味もありません。もちろん、家庭でも極真会館宮城県本部でもないのです。過ぎた時代の基準を超えていくという気持ちがなければ、ただ消えていくのみです。そうでなければ、現実の世間を踏み越えていくことができないということです。
 さて、私の視線は、当然、極真会館としての役割に重点を置いております。私が生まれたのも、ただ人生で掴んだ最高の目的に向かっていくということであるべきだと思っているのです。私は、常々列外の道を歩んできたということを話します。決して世の中に翻弄されるような歩みをしたいということは無いという意味です。それがゆえに、自分を中心として完成させる目標を選択してきました。組織の歯車にはならないような立場でしか、行動してこなかったのです。そのような意味では、小さな次元でも、ただ最高の目的だけを求めて歩んできたということなのです。心に決めていることは、ふらつくような人間にはなるまいということです。寝ないで考えて、勝負するのです。自ら衝動を起こし、自ら刺激して前進することに一生懸命なのです。
 ところで、私は今の戦いだけに留まっている積りは、まったくないのです。過ぎ去っていく戦いなど未練もないのです。いつもどこに行って、何をするかを考えるだけなのです。それゆえ、今の戦いも目的に対する一念から出てきている行動に他ならないのです。戦って、あらゆる曲折と試練を経ながら、その末路が悲惨であるならばやりきれないのです。今の戦いも、自分の意思で始めていることであり、決して報酬などは要求しないのです。数多くの先輩たちは、目的のために苦悶して築き上げて来たではないでしょうか。今勝利の抱負を抱いて、安らかにできる時ではないのです。決死的な気持ちを抱きながら前進するのみです。もちろん、戦いの場で、新しいことを創造して、収拾すべきであると思っています。そんな意識で今日も戦ってきました。
 とにかく、人に何と言われようとも、引っ張られて、やめてしまうような信念と理念ではないのです。そのような根性のない精神が今まで極真会館で築いたのではないのです。正しい人を応援することが悪いことではないのです。そして、その正しい人と共に、人生を過ごし、私としては、極真の理想を実現しようとするのですから、こんなに恵まれた立場はないと思って、突入するのみなのです。今日も暑いのです。9時過ぎに一時間あまり、座学の稽古をしましたが、形相の変わっている私に、何とも言えない感想を漏らしていました。それでも、戦い抜く所存なのです。これしかないと決めたからには、だれが何といっても止めることができないのです。