2015年7月28日(八段語録2487)
なぜ戦うのか

 今日も積極的に活動しているのです。それは、個人的な欲求からくるものではないのです。あくまでも、生活の為に生きて、生活向上のために戦っているのではないのです。極真空手道を通して、芸術や文学や歌に造詣を持ち、豊富な好奇心を抱き、自然に親しみ、畑を耕しながら、土にささやき、風にささやき、山々に囁きかけている自分がいるのです。もちろん、このような気持ちの延長の中で、今の自分の活動は、今の社会制度を守ろうとし、さらに、中心的な役割を果たそうとするのです。私は、心静かに胸に手を当てると、現実的生活人間というよりは、理想を求めて生きようとする人種に近いようです。いろいろな地域活動の中で、生活的精神的な作用をしていこうとする気持ちが強いのです。そうしてこそ、私の存在位置があると思っているのです。
 さて、私個人を考えれば、極真空手で鍛えてきただけに、百キロの体重を誇り、とても大きな存在なのです。肉体的に見るならば、普通の人よりは、大きく、弁慶のような感じでしょうか。それも際立って、違って見えるのですが、それ以上に、内的に、思想面であるとか、精神面では普通の人とは違っているのです。体格で違い、内面も違うという特性があるのが私ということになります。体格は付随的についてきましたが、何を私が努力してきたかというならば、武士道という精神的分野を広げようと試みてきた人生であるということです。範囲はかなり狭まりますが、この精神をしっかり身に着けるために生涯をかけて築いてきたということです。この武士道の分野は、手前味噌でいうならば、無限大に広がる世界なのです。
 したがって、私が持っている欲望を、肉体から発するのではなく、心から発生させようとする努力を試みてきたということなのです。その成果は定かではないにせよ、今なお追及する武人であるということなのです。それだからこそ、無限な欲望を私の心は求めていくということなのです。世間がどうのこうのではなく、今なお現役で戦っている闘士ということです。さらに、進んで、現在を原点として、過去と未来をつなげて、何か意味あるもののように身もだえしている自分でもあるのです。私には、特に頼りになる学閥があるわけではなく、また、経歴や地位が高いわけでもないのです。あくまでも、極真精神から来る魂の叫びということなのです。
 そのようなことを思い抱きながら、前進しようとする今日です。激しき暑さが迫ってくるように思えるのです。それでも、気持ちを引き締めて、目的に向かって、前進です。ちょっと外野から嫌がらせをされましたが、どうでも良いことなので、気にも留めず、明るく前進です。こんなにも夏が暑いものであると、車の中からも感じる日でした。