2015年7月27日(八段語録2486)
公的人生
人とモノを公的に管理する人にならなければならないということです。たとえ、生命がけの絶頂においても、その気持ちを貫かなければならないでしょう。食事をするときも、食材の一つ一つにありがたいというあいさつもなく、むやみに食べるようでは、身体に食材が滞在している間、消化されず、反旗を翻して、消化不良を、起こしかねないのです。安保法制に関しても、向かっている方向は正しいと思うのですが、しっかり議論して、国民の納得のいくような事で、対応しなければならないということです。人もモノも公的に対応しなければ、あらゆるストレスが生まれてしまうのです。
さて、モノについて、考えれば、人の口に入って、エネルギーになるのはもちろんのこと、骨と肉になって、立派な成人となり、生きて家庭を作り、社会貢献をするのかということが、問われるのではないかと思うのです。エゴイストの中に入って、社会悪の活動をしたいという食材はないのです。たった一粒のご飯でも、善なる人の胃に入って行って、より社会のために役だというと思うものだと推測してしまいます。もちろん、環境としての、空気であれ、空間であれ、時間であれ、同じだと思うのです。中国北京での大気汚染などを考えると、まったく、中国共産党の一部の私利私欲の為の政策が、燃料の質の悪さを誘引して、環境を破壊しているということになっているということでしょう。さらに、時間管理、環境の管理は、大切なことであるということです。
ところで、もっと大切なことが、人に対しての扱いです。自分が必至だからと言って、責任あるものを不自由にして、自分が仕切るようでは、一緒に歩もうとする人は立場を失います。相手にストライキを起こさせたらそれで終わりです。それで、自分の主張を続ければ、一日と持たないでしょう。特に強調したいことは、どんな人でも大切な人であるということです。仙台で師範をするようになってから、私の弟子に対して、空手の本質を指導してきましたが、人格を否定することは一度もなかったのです。それだから、その弟子達が指導者になって、社会貢献をしているのです。人の能力は、人知を超えたところにあると思うのです。たとえ、その時に、幼く見えても、大きく育っていくのです。
このような事を考えながら、一日を終えました。確かに完全燃焼すると疲れます。それでも、私自身太陽になる気持ちで一日を戦ったということです。太陽は、生命の根源であり、無限な価値を持っています。私たちは、太陽の恩恵を無償で受けているのですが、太陽が自己を主張することはありません。そして、金銭を要求することもありません。しかし、この太陽から、多くの恩恵を受けているのです。そのような存在にならなければと思うのです。ましてや、太陽が誰かのものであるということは、まったくないのです。この暑さも、感謝すれば乗り越えていけるということでしょう。私自身が目指すべき人格像は、公的立場で、公的管理を生活哲学に抱いて歩むということです。このよう生き方をしてきましたが、何の保証も地位もなく、それでも、滅びる人生を歩んでいるとは思っていないのです。このような生き方を上手にしていきたいという決意です。そうした接点を持った昔の人達との交流が始まりました。振り返ると、多くの人に影響を与えて来たのだという気持ちが胸を熱くします。