2015年7月26日(八段語録2485)
腑に落ちない組織

 一か月前、合同懇親会が行われました。ボランティアという地域の安全・安心に欠かせない行事を行っています。この地域にはかけがえのない地域住民がいるということです。そのような地域を守るために、もう二十年近く活動を行ってきました。東日本大震災の時も、活躍の場を与えられ、この活動には誇りを持って歩んできたのです。本来ならば、ボランティアですから、奉仕活動という事で、献身的に歩むということです。しかし、我慢ならない事もあって、活動に疑問を呈している状態です。それだからといって、個人的な行動を取ることができるわけでもなく、一人黙々と追随しているということです。なるべく、いざという時に、活動を優先するための立場だけは、離れまいとする懸命なる努力ということです。気持ち、奉仕と犠牲の精神の立場の確保ということです。
 さて、私が疑問を持つことに対して、組織のメンバーは否定的です。前回はコテンパンに否定されました。ですから、今回も黙っているということです。もうレッテルが張られているので、普通の人はやめるのでしょうが、極真空手をやってきた人間としては、何があっても全うするだけです。それでは、身体に悪いので、ブログの中で表現しているということです。今回のテーマは、人事権と財務面での私物化ということです。
人事に関しては、長の権限という事で、一括されて終わりですが、都合の良い人材を登用するということです。要するに、子飼いにするという事でしょう。これも相当な葛藤がありましたが、自分の信念を貫くという事では、私は、迎合できないということです。
 問題は、財務面です。
 第一に、方針では、報酬は、個人の口座に振り込むといことですが、歪曲して、組織が個人の通帳を作って、運営しているということです。これは、会計からするならば、あってはならないことです。ペナルティーということです。この件に関しては、金銭を幹部が握るという事で、権力の行使につながります。その権勢で、統率しようとするのですから、上が強く、一人一人の意見を聞かないという体質につながります。それだから、言う事の聞く人を立てようとするのです。
 第二に、支出は、ボランティア団体でありながらも、百万円を越えます。構成員は10名にも満たないのですから、一年間に、一人当たり10万円以上の飲食代ということです。この金額が、年報酬、から賄われることになります。この感覚は、私が所属している、団体との比較をするのですが、理解に苦しみます。援助を頂きながら、そのお金を個人口座に振り込むことではなく、飲み食いに使っているという事にしか思えないということです。私は、飲み食いの為に来ていると思っていないので、ずっと違和感があります。そのような事で、最近は一線を引いて、二次会には行かないという事にしています。そして、宴会を企画する人が上に登用されるのですから、笑ってしまいます。
 そのような現状を踏まえて、生涯の人生はあまりにも短いものです。人の寿命が百年余り
ですから、一瞬です。私の姿勢は、批判しようとしているのではないし、引きずり下ろそうと思っているのではないのです。心の次元が違います。愛情を持って表現しているのです。もちろん、現実に世間で暮らしているのですから、このようにボヤキも出ます。青春時代を過ごして、壮年時代に入って、今、壮年時代に入るようになって、日が沈むようになるのに、疑問は疑問として感じるのです。別に誰を責めようとは思わないのです。ただ自分なりに価値を打診してみただけなのです。