2015年7月25日(八段語録2484)
結果がすべての世界

 結果がすべてであるという世界は厳しいものがあります。これは、資本主義のあらゆるパターンに関わってきます。この事だけを考えると、すぐにでも結果を出さなければ敗北という事につながるという感覚に陥ります。しかし、私が歩んだ道のりを精査すると、何十年と時間を掛けて、結果を出すという事もあってはいいのではないかと思うにようになっているのです。そのような意味では、ビジネスやスポーツという世界での戦いには向いていないようにもおもいます。人生にはルールというものがあると強く意識しているのも、私自身です。私のルールは人生の邪魔にはなっていないのです。この年齢まで歩んでみて、何でも良いというという事で、自立したのではないのです。
 さて、そのルールの内容ですが、私の場合、自分を本当の意味で発展させるルールを。定めたのです。一つは、実際と言葉で人を傷つけないという事です。そして、愛情において、決して不倫はしないという事でした。「この原則を離れた自由な生き方は無い」というルールを自分の心の中で策定したのでした。そこが原点となって、精進したのです。そして徹底的に自分を極限まで磨くのです。個人の次元では、肉体と精神の鍛練の話ですが、家庭においても、「どのようにすべきか」、という事を見つめ続けてきました。そうしなければ、自分も満足できなし、家族も信頼して一緒に歩めないという決め事でした。私のこのルールをいい加減にすることは無かった人生という事です。楽に勝つとか、嘘をついて勝とか、どんな手段を使っても勝つというような結果だけを求めたことの無い人生に、今振り返っても、納得のいくと事があるのです。
 ところで、私の場合、原則すべてに対して責任を取るという姿勢を貫くのです。そうしないと、成長が無いと思っているのです。もちろん、人情的な側面は、自分の欠点であると認めるのですが、人を傷つけることと、妻の愛を裏切るという事を、絶対に避けるという戒律を決めて、どんなことがあっても失敗しないという人生への旅立ちをしたのでした。それゆえに、あらゆる試練が待ち構えていたのです。そして、今も現役で戦っているのですから、気持ちは引き締められているという事です。今も、どんな環境でも自分に厳しく、正当に努力を積み重ねて、信頼を得て、実績を積み上げて、成長するという自分でありたいと思うのです。
 もちろん、このような意識でいるので、あらゆる人の人生観に影響を受けるのは、間違いないのですが、それでも、「俺がルール」だと言わんばかりに、強気で、曲げずに主張し続けています。弟子の中にも、いろいろな愛の形を主張する者もいましたが、きっぱり否定します。それで、一緒に修業できなければ仕方がないと思っています。同性愛は決して認めません。そんな修業を極真と共に歩んできたので、これからも貫くだけです。
 それで、私にどんな改革が必要であるかというならば、無いのです。多くの人の生き方を参考にしながら、影響を受けて、なおかつ自分の信念は曲げないという事なのです。このような志は、必ず人生に実るという確信があるのと、一代で出来なければ、次の代へと受け継がれていくものであると、思っているのです。