2015年7月23日(八段語録2482)
歯車が回らないとき

 いつもは、元気で明るく正しくという気持ちの指導者としているのですが、自分達の組織に不備があった場合には、血相書いてしまいます。困難な事は平気で乗り切れますが、自分達に明らかに非があった場合は、穴があったら入りたいというような気持ちに成り下がってしまいます。年齢が高くなっても涙がチョチョギレるのです。間違いなく、極真会館宮城県本部の責任者であることに、逃げ隠れもしない公的な人であり孤独な人であるという事です。考えてみると、極真の修業時代、あらゆるものを学んできたのです。自分に対して箍が外れることも無いようにと慎重に日々過ごしているのですが、思いがけない所で、不備が勃発してしまうと、気持ちが落ち込んでしまうものです。もちろん、あらゆる憤りを耐えていくという事ですが、息が詰まり、この五感がちょっとおかしくなるのではないかと思えるのです。
 それでも、私の姿勢は、愛情を持って、道場生を感化して、互いに調和しなければならないという気持ちになります。そうでなければ、家族としての標本の極真会館にはならないのです。そのような意味では、組織に愛情を注ぐという事は、どれほど困難な事が多いかという事です。今日歩いてどのようになるか分からないという事を覚悟していかなければならないという事です。あらゆる困難な事に対する混乱を、私に指導してくれる師は誰もいないのです。私は朝四時半には起床して、顔を洗い、目を覚ましますが、夕方には疲れ果ててしまっています。それでも、心は一つですから、落ち着かせて、次の行動を取るようにしています。そして、理想は、自分の稽古を黙々とすることなのです。
 ところで、日々の中に栄光だけがあるという訳にはいかないのです。今日のように心を痛めるときもあります。もちろん、大きな事では無いにしても、社会で生きているという事は、決して迷惑をかけてはいけないという事です。そのような事を、もっと肝に銘じていかなければならないと思うのでした。マラソンランナーが四十数キロの距離を走るのですが、その手前、百メートルで歩みを止めてしまえ、何の評価もされないのです。そこで転べばおしまいという事です。それと同じようにしっかり対応して、記録を作らなければならないのです。
最後まで完走するまで、失敗するわけにはいかないのです。誰も責めるつもりはありません。自分に対して、奮い立たせるだけなのです。
 夕方、息子を中島病院に連れていきました。熱が下がらないのです。39度以上の高熱が襲っているようで、苦しそうでした。結局東北労災病院に高熱による原因不明の入院という事になりました。本当に、家族が苦しむという事は辛いものです。一つ歯車がかみ合わないと、全体がうまくいきません。そんなときもあるという事でしょう。それでも一つ一つ、整理して、クリアしていかなければという気持ちを持ちます。夜は、娘たちとお茶を飲みながら、雑談をして休みます。明日からは、市議会議員の公示日となります。忙しく活動しようとする自分があります。何があっても、この時代を背負っていくものとしての、責任を持ちながら、推し進めていくという事です。