2015年7月17日(八段語録2476)
子供達に対する姿勢

 社会を明るくする運動の一環として、原町小学校と宮城野中学校の二校で、講演を行いました。このような活動をするなかで、私の有意義な生涯を、極真会館での子供達の教育に投入できていることに、いままで、築いて来た道が間違っていないと、思える事の確認をしたのでした。今日私が信じてきた道の範囲は、天下国家を論じるうえでは、余りにも狭い範囲のような気がします。そう思うのは、若き日の気持ちからするならば、青春の観念的な思いが、このように地域に結実しているという事を、消極的という発想からでした。しかし、若い時は、理念と希望に走り、あまりにも不備なままに、身もだえしていましたが、今は、着実にできることの全てを、有りのままに行動しているという事であると思っているのです。
 さて、私は一国の責任者でもないし、世界全体に対して責任を持つような立場でもないのです。それで、世界の動きを横目で見ながら、こうして地域から青少年の為になることを積極的に推し進めていくことは、世界の為になるという気持ちを持つようにしたいと思うのです。それは、私の不足な内容を姿でしかないことを確認できるからであり、それでも自分自身の善悪を分けるのです。ゴミの分別みたいですが。そして、間違いの無いような姿勢を整えることが重要であると思っているのです。青少年に接するとき、子供達を大切にすることができ、呼び求めることができる心を持ちたいのです。それはきっと、誇ることができる大切な生命として扱う事ができる、寛容な心を育ませてくださいと願うという事でのように思うのです。
 ところで、こうして、社明の活動をする中で、一人でも悪の誘惑に陥らないようにという祈りをこめている自分があるのです。できるだけ、子供達の非の無い心を奮い起こして、夏休みの期間無事に過ごさせくれるようにと、天に訴えるような気持ちになっているのです。そのような責任を、社明の私達が願われ、守っていける立場に、感謝すると同時に、その責任を命じられているという気持ちを持って臨みたいと思うのでした。ただ単に、名誉で受けた役職ではなく、私の心と体で不足無いように、助けていかなければならないという気持ちになるのです。子供達の日々の歩みは、成長また成長なのです。その真っただ中での、事件・事故だけには出くわせないように、という気持ちになります。
 それにしても、東警察署生活安全課の、坂内課長補佐から、「まけないよ」のフレーズで、犯罪の誘惑の多さを聞きました。ネット犯罪から、さまざまなちょっとした誘惑が、子供達の心をむしばんでいくという事を、聞かされるたびに、地域の住人としてどのように子供達を守っていくかという事が、私達の使命であるという事を学びました。この防犯教室が終わってから、名取市に出かけて、9月からの新教室の設置について、検討を加えたり、新規の対象者のケアーを行ったりという事で、朝から忙しくするばかりでした。それでも、自分に対する修業を怠ることなく、真摯に歩みたいと思うのです。何から何まで、何でもできる能力など備わっているはずはないのですから、一歩また一歩と進軍を重ねて、社会貢献の道を究めていきたいと思うのでした。あらゆる困難を乗り越えて、歩む人生が、自分にとって、恋しくも思うのでした。