2015年7月15日(八段語録2474)
子供達を守り、そして国を守りましょう。

 今日も暑いのです。そして気持ちも緩みがちですが、早朝は、交通指導隊として交差点で交通指導に当たり、午後からは、警察少年補導員の宮城大会に参加してきました。少年達が、社会からはみ出して、手が付けられないようにならないためにも、活動を強化しなければならないという使命感が湧いてきました。今は、ネット社会になっていて、表面に現れない犯罪に巻き込まれるケースが増えてきているのです。出会い系サイトであったり、有害ポルノサイトであったり、さまざま少年にもたらす悪影響が多いのです。子供達の心が、いつも善悪の二つの勢力で相対立しているという事です。それを正しく、サポートするのが大人の役割なのです。私とて、このような指導員に選出されてなければ、意識が回っていかなかったかもしれないという事です。私の場合、極真空手の洗礼を浴びてしまったので、自己を否定する押忍の精神を身に着け、修道的精神を追求してきたものですから、犯罪には巻き込まれずに済んだという事でしょう。
 さて、肉体を鍛えるという事は、並大抵ではないのです。いつも生活での自己葛藤が始まる日々があり、自分に負けない戦いが始まるわけです。それも、現実的に汗を流す稽古でありますから、闘いの最前線に自分の身を置くという事なのです。それも、試合をするという事は、相手がいることですから、競争が始まるわけです。一日の稽古は誰にでもできます。一か月ぐらいは続くと思うのです。しかし、それが十年・二十年、そして私のように四十年を超える歳月戦い続けるのは至難の極地であるという事です。
ちょっとテレビを眺めていたのですが、安保法案が委員会で可決されたという事でした。凄まじい反対する野党の中での採決という事でした。個人ばかりではなく、国家という次元でも、闘争という最大最悪の対立なされているのです。戦争をしようとする法案ではないのですが、拡大解釈しての反対という事でしょう。私としてはミクロ次元とマクロ次元があるという思いがあります。ミクロ次元としては、家に泥棒が入らないように、カギをかけ、警備会社との契約をするとかという事でしょう。国家次元になれば、それに似た信頼関係を他国と結ぶという行動は、何の違和感もありませんが、敗戦を期した日本国としては、かつての軍国主義を思い浮かべるのではないかと思うのです。私としては、ミクロ次元と同じ警備は国家でも必要であろうと思うし、国際協調も必要であると思うのでした。
空手でもそうなのですが、自分を防備しておかなければ、間違いなくやられてしまいます。極真精神は、私にとっては機関銃のような攻撃を仕掛けてくる敵から、身を守るという事なのだと思っているのです。私にとって、世俗的な習慣性との戦いは、自分の身を守る上で、必要不可欠な事になっています。ミクロとマクロの関係は、規模は違えども、大切な事です。戦争に突き進む道を行っているというよりは、家を守るという事、国を守るという事は、同じだと思っています。ギリシャのように、債務の返済で首が回らないようになってはいけないという事でしょう。幸い、我が家庭も生活するために、良く働き家族を守っています。日本の国においても、勤勉な国民が国を支えているのです。野党の政治家も、どのようにしたら、日本の国を維持して、後世までつなげていけるかを真剣に考えてもらいたいと思うのでした。国を守るための代案を提出してもらいたいものです。