2015年7月12日(八段語録2471)
家族と共に

 私達は苦労が絶えない人生を歩んでいるという事だと思います。そこに願われることは、もっと苦労しようと思う事です。私自身の事も、家族の事も、極真会館での事も、試練は当然の事として受けてきました。もちろん一言も文句を言わずに全て受けて、人生を過ごしてきたように思います。あらゆる事は、子供達の事ですから、親がどうのこうのという事では無いと思います。これは、私達の精神的伝統であると思っているのです。いろいろなことが、必ずよき方向に向かっていくという事になると思っています。
 これから子供達が、どんな道を選択しようが、その責任を夫婦で、一生背負うという事だと思います。この道を歩んだ思想、戦略、伝統が夫婦を中心として、夫婦共々、同じ気持ちを持って、歩むという事が一番重要な心構えであると思っています。子供達には、一生付き合っていくという気持ちでおります。おそらく、子供達に対しては、私が、生きていようが、死んでしまおうが、関係なく、永遠に責任を持つようになるのだと覚悟しています。子供達がどんな道を行こうが、この道、十六歳から訓練されてきたのですから、何があってもじたばたするようには、ならないと思っています。この道を歩んだ時から、新しい天地が開け、新しい生活が開かれると思って、この年齢まで歩んできました。生命のスケジュールん表がどうなっているのかは、神のみぞ知るという事だと思います。
 何も無かった若き日を過ごして、妻と出会って、三人の子供にも恵まれました。全く一握りの何も無かった私が家族を持つという不思議な出会いと、祝福を受けてきたのだと思っています。娘は、私達夫婦以上の人生を歩むと確信しているのです。理由は、あらゆる確証を持ち、あらゆる経験を超えていけるからだと思っているのです。振り返れば、私達はみすぼらしい人生であったように思うのです。このような世界に飛び込んだのですから、何の評価もされず、ただただ歩んだという事です。しかし、そのような屈辱的な人生が、今はより良き方向に進み始めているようにも思うのです。そのようにして授かった子供ですから、王道の道を歩むと確信するのです。どの家庭も、開拓者の道が続くと思いますが、いかなることが起きても、落胆することではないと思っているのです。
 確かにお互い開拓の道であり、もっとも高潔な神聖な人生を歩んでいるという確信を持っているので、誰よりも、自分自身に対して、卑下せずに、戦い抜きたいと思います。世界では、さまよえる魂が数多く存在しています。人間らしい生活もできず、鎖でつながれている人生を歩んでいる人達も多いのです。開拓を行く修行者としては、自分を誇れることはないと思っています。ただ突き進むだけなのです。私の生き様を、ただ真剣に歩むのみです。お互い心情の開拓、愛の開拓の道を突き進めれば良いと思っています。
 結論として、私達夫婦は、子供達に対しても、道場生に対しても、最大限に愛情を注ぎたいと思っています。特に、子供達に関して述べさせていただきますが、この一年紆余曲折しながら、独りよがりだったのかもわかりませんが、愛情をはぐくんでいった子供達の姿がありました。最後は家族の問題であると思うですが、子供達が、納得がいくようにさせたいと思っています。