2015年7月10日(八段語録2469)
世界貢献

 朝から暑いのです。三十度を超えそうな勢いで、温度計が上がっていきます。梅雨の晴れ間でしょうが、体力が奪われるのです。それでも、四時半起床、五時からはいつものルーティンが始まります。仮釈放者の保護観察のレポートを作成して、十時には対象者との面接をこなし、田子・高砂と小学校を回り、三時には、コボスタ宮城で、社明のチラシを配って、夕方からは、新田・幸町の教室という具合に、目が回るような一日でした。おそらく、千順さんからは、ジャガイモの収穫の催促があることが目に見えているので、今日は別荘に寝泊まりという事になると覚悟しています。短い筈の日々が、長く感じてしまいます。ちょっと、車のテレビで国会答弁を聞いていましたが、辻元議員の詭弁を聞くのですが、もう少し、公的精神を持ってくださいと思ってしまいます。国を守り、世界に貢献するという観点で、議論してもらいたいと思うのでした。憲法9条のお題目だけで、国を守ってきたという事は、私には考えられません。あくまでもアメリカとの安全保障条約が抑止力になって、日本の国を守ってくれたというのが、真実の表現になるのではないかと思うのです。
 そのような意味では、世界の人達の悲しみや苦しみを、その人たちに寄り添って身代わりになるような覚悟がなければ、世界貢献という事は出来ないような気がします。日本の戦後の復興は、日本国独自に発展したのはなく、民主主義国との連携の中で、成長したのであるという事を考えるべきであると思うのです。日本は確かに、努力を重ねて、戦後の復興を果たしてきました。しかし、それ以上に、努力を重ねても、まだ悲痛な国が多くあるという事実を考えれば、その国に手を差し伸べるのが日本国の役割であると思うのです。そのような事を少しでも、念頭に入れて、この国の未来を目指して欲しいものだと考えさせられます。
 そうでなければ、世界の国の一員として、リーダーシップをとる国になることができないと思うのです。今でも、世界のニュースを見ると、さまよわなければならない多くの運命の中に、処している国々が多いという事です。このような事情のある世界だけに、日本国として打ち破っていかなければならないことが多いという事です。決して、日本が、世界貢献をせずに、世界に対する指導国家になりうるかというと、それは、無理というものです。野党は、国民という名前を使った、自己中心的発想から、解放されないという事になりかねないのです。やはり、良き国家の形成であり、世界平和に貢献していく国家を目指すのが、終着点であり、目的であると思うのです。
 結果、世界平和に貢献するような国にならなければ、世界の国々から、認められることの無い国家になってしまいます。日本には、武士道という、民百姓の為に生きるという精神があります。私が、世界を回ってみると、中国人と韓国人と違った扱いを受けるのです。それは、その国の地域社会に溶け込んで、受け入れられる民族が、日本民族であると、信頼されているのです。ほかの国は、その地域で、自分の利益に走って、コーリアタウンやチャイナタウンを形成して、その国の為になろうとしないというのです。そんな日本人である私たちは、武士道精神で身を固めながら、世界貢献の道を突き進み、世界の多くの涙を拭ってあげることができるようにしなければならないという思いになってしまいます。