2015年7月8日(八段語録2467)
早い一生、涙と共に

 私はれっきとした日本男児なのですが、涙を浮かべて、流すことが多かったと振り返ります。それもそのはず、成功よりも失敗の数が余りにも多いという事です。それも、涙を伴うような失敗が数えきれないほど多いのです。感激の涙よりも、悔しい涙が人生を覆っているという事です。普通の人であったら、あきらめて、やめてしまうようなことでも、へこたれずに続けていくのです。それでまた失敗するわけです。そんな連続の人生を送ってきていますので、厳つい顔からは、誰からも見えないのですが、一人悔しがって泣くことも多い人生となりました。失敗を重ねても、納得しなければ、また一から出直しというサイクルが私にはあるようです。もし、ギャンブル等の嵌っていたとしたら、財産の全てはなくなってしまうのではないかと思えるほどです。疲れた体を鞭打って、何が何でも、前進するという本能が芽生えるのです。そんな人生の連続でした。
 このような性格は誰に似ているのかと詮索すると、やはり親父という事です。親父はいつも気丈に振る舞っているのですが、一人酒を飲むと、涙が止まらないのです。特に、父の若くして亡くなった実の母のことになると、涙と鼻水が止まらなくなるほどでした。このような親父の性格を遺伝子として受け継いでいるものですから、並大抵のことではへこたれないのですが、よく一人で泣き明かした日々が多かったように思うのです。それでも、泣いたからと言って、物事を、諦めるような性格ではないのです。なんだかんだと紆余曲折しながら、ついに到達して勝利した時には、これまた、感激の涙を流すという事なのです。私の人生は、一般の人が通ったような生き方ではなく、常に社会の列外の歩みをしていたので、泣く傾向が多かったのかと思うのでした。
 そのような経験をしてきたのですが、それで人生がどうのこうのという事ではないのです。泣くことが悪かったというわけでもなく、悔し涙も、うれし涙も、今となっては、気持ちの深い人間に成長させてもらったという事です。もちろん、子供たちの事でもいっぱい涙を流しました。そんな事を振り返ると、涙も愛情に通じたことが多かったという事です。今までの歩んだ人生は、決して長くはなかったのです。これからもあっという間に過ぎていくように思うのです。それだからこそ、涙は財産であると思うようにしているのです。平凡な人生よりは、涙の人生のほうが良いと思うようにしているのです。自分の体面など、涙が流れると、どうでもよくなります。日が暮れる前に目的地に行かなければならないように、人生の終焉を迎える前に、やらなければならないことを、涙を流しながらでも、成し遂げていきたいと思うようになるのです。
 今日は夕方から、雨が降ってきました。長町の教室に行く途中に、トヨタのディラーによって、充電しています。一時間の待ち時間の中で、ブログを書いているのです。今日は忙しいので、このままアップしようと思います。まだまだ、合格点の貰えない人生航路であることは間違いないので、一生懸命の人生が続きます。そして、涙を流した分だけ、充実した人生を歩みたいという願望があるのです。余裕のない人生ですが、それでも、生かされている自分に乾杯です。