2015年7月7日(八段語録2466)
七夕

 七夕の日、朝からし晴れ渡っています。ひょっとしたら、天の川が見えて、夜空が綺麗かもと思ってしまいます。日差しがあると、暑くなって、体調もイマイチというところです。それでも、今日に最大のパワーを送って、出発です。この世に生まれてきたからには、世間のあらゆる波風にさらされながら、あらゆる感情の真っただ中に立って、多くの人に役立とうする気構えは、我ながら立派であると思ってしまいます。そうでなければ、ただの時代の通行人になってしまうだけという事だと思います。最初自分に言い聞かせなければならないことは、自分が自分を認める資格者になりうるかという事です。要するに、心身が健全であるかという事を問い正すということです。そして、最終的に敵愾心を持たないことです。この敵愾心で、物事に対処したら、自分の気持ちが逆転してしまって、とんでもない、結果になります。それでいつもの心掛け通り、愛情の主張でもって、多くの事例に対応していきたいという事です。
 さて、若いころは、先輩たちに囲まれて、認めてもらうというよりは、否定の連続であったように思います。その中で、最大限に認めてくれた直接関係を持った人がいました。名前をしっかり憶えているのです。佐藤女史、森蔭キャプテン、佐藤店長、東森先生、西井先生、関口先生、高橋先生といった指導者です。そのときは、無限の力が生まれました。自分でも信じることができないほどの能力が現れました。睡眠時間も僅かでも、最大限の活躍ができました。今でも、心から感謝している指導者の方々なのです。そう思うと、私の個性は、相当目立つようです。その中でも、煙たがることなく、存在そのものを認めて下さった方々に、なんとお礼を言っていいか分らないほどなのです。そして、育った私が、極真会館宮城県本部の責任を持って、先頭に立てるのも、個性を最大限発揮してくれた、上記の指導者のおかげであると思うのです。
 ところで、今の自分についてですが、相当確立されたものがあります。このように訓練された、私は誰にも負けないほどの信念の塊になっているのです。私の存在そのものを高く評価してくれた方が周りに存在していたので、手塚会長とは阿吽の呼吸で、何でも取り組める領域まで来ているという事です。足らないながらも手塚会長の相対圏として、契約の条件に従って、犠牲の道、困難な道もいとわず、自己犠牲を先頭にして戦って来ることができたのだと思うのです。会長に従った人達の大半は、途中で自分がかわいいゆえに、袂を分かれてしまったのです。それは、どのような判断になるのかは、私の知ることではないので、別に詮索などしません。今、筆頭の副会長として、未だに会長をサポートする立場を与えて頂いているという現実は、実に重いと思っています。 
 そのような事もあって、今の自分がどうしなければならないかという事を、頭に叩き込みながら、七夕の夕べを楽しんでいます。今日は中野栄の教室で、博先生に対しての応援を頂きました。快く受け入れてくれました。それから、自己トレーニングに入って、二時間余りの時間を基本の稽古に費やしました。稽古をする中で、いろいろと感じさせられる啓示みたいな発想も生まれました。そして、現場でそのようにするかという事がこれからの課題という事です。