2015年7月6日(八段語録2465)
良きバイオリズムでの感性へ、

 最近感じることは、人にはバイオリズムがあるという事です。「乗っているとき」は、何をしてもスムーズに事が運ぶのですが、「乗れないとき」は、何をやっても、良くない結果しか現れないのです。この「乗れないというとき」の退治が、私の課題という事です。このような、状況を打破するというのが、私の戦いという事になるのです。このようなバイオリズがあるという事は、生活実感の中で、何度も感じるのですから、どうしようもありません。私という個性を、良くも悪くもコントロールしてしまうバイオリズムに対して、どのようにしたら、一定のより「乗っているとき」を保つことができるかという事を真剣に考えるのです。このバイオリズムが永遠に続くとするならば、良き目的と悪い目的の二つがあって、どちらかに向かっているという概念があるならば、決着も早いのですが、そうでもないのです。
 さて、本来ならば、良きバイオリズムだけが、私を支配し、絶対的権限を持って、支配してくれるならば、どれほど良いかと思うのですが、これが、調子を崩し、悪い方向へと向かっていくのですから、たまってものではないのです。このバイオリズムの、負の連鎖を避けるためには、自然に消化してしまって、何でもないような状態を作るという事なのだと思えてきているのです。バイオリズムが悪いときには、この悪さを一息に片付けたいと思うのですが、この事に対する熟慮が必要になってくるという事です。そこで、私が発想することに第一は、良きバイオリズムが本来の運勢であると確信し、悪いバイオリズムを自然屈服させという事なのでしょう。悪いバイオリズムを叩きのめすことなどできはしないのですから、バイオリズムの道理に帰って、自分自身の中で、良きバイオリズムを公認させて、突き進むという事しかできないのではないかと思うに至っているのです。
 ところで、バイオリズムとは関係の無いようにも思うのですが、正しい精神状態を築くことに力を注ぐのが解決策につながるかもしれないという思いもするのです。自分にとっては結構深刻な問題なのですが、「乗れるバイオリズムのとき」を形成するうえで、大切になってきます。できるだけ「乗れないバイオリズムのとき」を処理できるのではないかと思っているのです。常に考えることは、家族とよき関係を持っているかという事と、道場と地域でスムーズな関係を持っているかという事です。家族・道場・地域と三つの関係に心を配りながら、大切すると、「乗れないときのバイオリズムとき」を吸収できるのではないかと考えてしまいます。このようなことが、「乗れるバイオリズムのとき」の維持に必要な原則なのではないかと思ってしまいます。
 今日は、四時半に起床、社明強化月間ということもあって、原町小学校に午前九時、宮城の中学校には午前十時、家の事、道場の事に思いを馳せながら、午後からは、畑仕事を暗くなるまで、続けていました。それから、一時間しっかり稽古をして、疲れ果てて十二時には熟睡という事でした。今日も私のバイオリズムは乗れない状態でしたが、それでも私自身の僅かばかりではありますが、神秘的な創造力を活用して、無事過ごすことができました。生命があるという事は、まだまだチャレンジの余地があるという事ですから、頑張らなければという気持ちにもなります。