2015年7月5日(八段語録2464)
改革に着手するも己の足らなさを嘆く

 自分の本分が失われたボランティア組織にいると、立つ瀬を失ってしまいます。もう一年近く、悶々してきたのですが、飼い犬に噛まれたような感覚さえするのです。それでも、決して、退却しようとは思わないのです。やはり、最初の動機からするならば、それを貫くというのが私の最後までの戦いという事になるのです。決して弱音は吐きませんし、逃げもしません。断固たる決意は揺るがないのです。今思う事は、このボランティア組織の解放です。間違っている方向性を正さなければならないのです。私の気持ちを、私の手で解放しなければ気が済まないのです。確かに、今までは良かったかもしれませんが、全体方針でも、個人を大切にするという事が明確に打ち出されてきているのです。そのような時代の流れを汲んで、対応しようとするのも私という事です。
 二十年ほど、この奉仕活動に専念してきましたが、勝手な真似はさせないぞという気持ちになります。個人では、一生懸命苦労すれば、未来に保障されるという経験を持っていますが、他の人が責任者である組織という事になると、別物に変質してしまいます。希望が持てない、惰性で流れる組織になってしまいます。それは、個人としては悔しいものがあります。その組織の中にいると、自分が老いた老人のように感じてしまいます。自分のボランティア精神の動機に照らし合わせて、狂った方向は、正すという気持ちで、組織改革に着手するという事も必要になります。生き生きしなければならない組織の中で、死んだように蔑まれるのは、好ましいことではないのです。
 ところで、昨日は、大船渡のジパングの大会で、阿部先生が優勝しました。喜ばしい報告をしてくれました。努力に努力を重ねての業績です。阿部先生も二十年余りの修業をして、選手として、光を放ったという事です。本当にうれしく思います。また、高校生の部でも、まるっきり入賞に縁がなかった道場生も準優勝という事で、努力が報われるように思えてならないのでした。私の道場以外の場外乱闘に嫌気をさしていただけに、希望の光を感じたのでした。愛する道場生が、頑張った雄姿を伺い知ると、何を私が悩んでいるのかと、自分を鼓舞して、叱咤激励したくなります。嘆くことを抜け出さずして、未来の歩みは無いという気持ちになります。
 今日も、朝から、日曜日であるにも、関わらず、忙しくしていました。午前中は、大まかに、自分の人生のマトリックス的な整理をしていました。縦軸と横軸に、個人から世界を展望して、どのような位置づけで人生を歩んできたかの六十数年の簡単な整理です。紆余曲折ある中で、確かに、個人から家庭を築き、地域と社会の為にどのように貢献してきたかを、心静かに整理してみました。成功と失敗を繰り返しながら、この世に生きて、役立った人生としての貢献度を整理という事です。そのような整理がどのように今後に影響を与えるかという事もチェックです。そして、そのまま畑に直行したのでしたが、社明の会議を忘却の彼方ということで、一時間も遅刻して、参加という事になってしまいました。皆さんに平謝りながら、気持ちを、もう一度、高めて取り組みたいという思いにさせられました。課題の山積は、仕方がないのですが、一つ一つ積み上げようと思いました。