2015年7月4日(八段語録2463)
反省から、泣きながらの出発

 私が、極真空手のであって、もう四十年近くになるのですが、実感として、個人の修業として、とても神聖であったと思うのです。日々真剣に取り組んだ思い出が残っています。どの期間の稽古を輪切りにして、浮かび上がらせても、そこに自分の生きざまが明確に表れてきます。そのような極真空手道は、ダイヤモンド・プラチナ等の宝石よりも輝いているといって過言でないのです。それは、まさに理想の世界を開拓するが如くでした。個人として修業をし、家庭を守り、そして、巣立っていく子供達を目の前にして、理想の生き方が、できたのは、極真空手を通じたからという事です。もし、私が四十年に及ぶ極真空手の修業に着手していなかったら、誘惑の魔の手によって、道を間違えていたかもしれないという事を考えると、ちょっとゾートします。
 ところで私にとって強烈な事件があったのです。その時個人として、修練してきた極真空手道の道は、押忍の精神を叩き込まれました。この精神のおかげで、どんな説教や裁きも乗り越えてこられたのです。というのも、修業が充実していて、全日本にも出場を果たしていた頃、その鼻っぱしを折られるような事件がありました。「そのような態度であったならば指導者の資格はない」と出入り禁止の罰を受けたのでした。その時の私の姿勢を思い出すのです。師範に対して、その場で土下座をして、涙ながらに許しを請うたのでした。その時、私に対する悪口雑言が一時間あまり続きました。そのとき、涙は止まらず、嗚咽してその場に立ち竦んでいたのでした。結局道場で、反省に反省をかみしめて、夜通し泣き続け、朝方に、見るに見かねて、師範が、私の気持ちを確かめてくれたのでした。
 その時に、この師範を決して裏切らないという心を育てたことになったのです。そして,忠臣としての立場を確立し、その時、師範に信頼されるようになったのです。このような心は、家庭をもって、子供達を育てるうえで、大事な忠孝の源となりました。どのような試練でも、乗り越えて、極真の修業を続けられる原点になったのです。人としての道理、家庭を持つ親としての道理の原点がここにあるのです。四十年の長い間の極真の修業の最大のピンチが、忠孝の源の精神に転化できたことは、私の仁徳というよりは、その時に、先祖が守ってくれたのではないかと、今にして思うのです。このような精神を、私の子供達にも徹底して、指導できるのです。ありがたい経験をさせてもらったと感謝しているのです。 
 そして、今、極真会館宮城県本部を充実させて、全国の師範と強調し、世界に連結しながら、思う事は、夫として、親として、主人として、師範として、保護司として、社明の委員長として、地域の責任者として、多くの人の為に心を砕けるような、立場で歩ませていただいていることに、愛の権限さえ感じるのです。もちろん、この内容を完成させようとするのも人生と思っています。この立場が、あらゆる心情圏を、抱かせてくれて頂いているということ、そして、私の社会的な立場として、完成を目指せるというところまで来ているという事は、ありがたいことです。こうして、私の家族形成の夢は、地域社会と連結して、自由と平和と幸福な地域社会に貢献する道を、見出させて頂いているという事になるのです。この年齢ですから、この立場を保持し、前進的に発展させるのが、これからの私の人生であると思っているのです。意欲満々という気持ちで、今日を過ごさせて頂きました。