2015年7月1日(八段語録2460)
社明強化月間

 上半期も終え、今年も後半に突入です。朝から仙台駅で、社明フェスティバルが行われました。犯罪に陥らないようにするための強化月間が始まりました。罪を贖われた人たちが、新たな出発を応援するという意味でも、大切な月間であると思っています。私たちの活動に集まってくる人達は誰であるかというならば、私達によって希望を持つことができる立場の人達が集まってくるのです。それだけに、責任ある立場であることに間違いはないのです。それだけに、自分自身の一言が大切であるという事を痛感してしまうのです。そこで、いつも意識することは、対象者である人の為に親身になるという事です。自分の意見を強要することなどできるはずもないのです。多くの人の痛みを感じつつ、その人の気持ちに反抗してはいけないという事を自覚するのです。
 さて、人は当たり前に、心と体が戦っているのです。自分の心と体が汚れないように身を納めなければならないと思うのです。そうしないと、自分自身が引きあがらないし、復活しないのです。そのためにも身を納めるという努力は、日々していかなければならない自分との戦いになるというのです。私が心掛けていることは、自分の気持ちに正直に生きようとすることであります。正義の旗を振りかざせずして、何の活動もできないというのも、この社明の原点でもあるのです。自分の思い通りではなく、その対象者の意志を尊重しながら、善導しなければならないという事になります。そういう意味でも、自分の姿勢が、高圧的であったり、傲慢であったりすることなど許されるはずはないのです。それゆえに、従順なる心、素直な心を、どのように築くかという事が喫緊の課題になるのです。
 ところで、私が保護司をしているという事で、地位や特権意識を持ってはいけないという事を自覚すべきであると思っているのです。地位や階級を超越して、誰にも素直になる心が必要になってくるのです。それを思うと、いろいろと心の持ち方を考えるのですが、気持ちで受け止めるという事とか、心情的になっていくとかという方法しか、思いつかないのです。そうすることによって、地位や名誉というような特権意識を拭い去ることができるように思うのです。社明に責任を持っていくという事は、どのような事なのかというならば、みんなの為に尽くすという事に尽きるのです。
 結論として、このような観点から自分を批判して、多くの訪ねてくる対象者に対して、命令する立場ではなく、更生・復活させてあげられるように努力するという事なのです。そのような意味では、このような伝統が自分の心の中に立って初めて、社明での活動の場が与えられるという事になると思うのです。階級意識や特権意識など言語道断という事です。そのような気持ちをもって、この社明強化月間に取り組んでいきたいと思っています。
 夕方からは、トレーニングです。突き・蹴りを繰り返すのです。体調は思わしくなかったのですが、下半期の一日目という事もあって、気合を入れました。二時間余りの時間を稽古に費やしながら、しんどい体を動かしながらの稽古という事になりました。終わりは達成感で気持ちが良かったのですが、明日に反動が無いようにという気持ちになります。弱い自分との戦いが、後半どのように仕上げていくことができるかという課題を抱えてという気音です。