2015年6月29日(八段語録2458)
突然の事態

 四時半起床、いつものルートをしっかり守り、博先生と行動を共にして、朝から気勢を上げていましたが、突然、聖義の嫁、茂奈の状態が良くないという事で、共済病院へ直行しました。結果、薬で何とか今回は治療できましたが、今度同じようなことが起これば、入院であり、早産もありうるような診断でした。出産までの時期は何があるか分からないという事です。最大限、生まれてくる子供に配慮して守っていかなければならないのが、家族の役割であろうと感じてしまいました。
 妊婦さんは、例外なく、次の世代を背負う子供をお腹に抱えているので、自分自身の事をもう一度慎重に考えなければならないという思いです。日常生活の中で、できるだけ、葛藤が無いように、周りが注意を払うようにしなければと思いました。それでも不十分な事が多いと思いますが、挫折にならないように配慮が必要であると思うのでした。子供を出産するという事は、どんなことよりも神聖で、かつ偉大な事であると思うのです。私も神仏に手を合わせるような気持ちになってしまいます。十月十日の間、出産という偉業に至るまで、あらゆる限界点にぶつかりながら、愛情をこめていかなければならないという事になるのです。この苦労が将来の希望になるのです。それゆえに、茂奈にも、いろいろと苦労をかけると思うのですが、出産という素晴らしい時を無事に迎えて貰いたいと思うのでした。
 ところで、我が家は、私の親父とお袋が一代で築いた家です。裸一貫から立ち上げて、今の世帯を抱えるようになったのです。このように世代が変わり、孫が誕生するようになっているとうことは、過去数十年の歳月をかけて築いてきた、私の両親の苦難の道のりが、今の安定した状態へと導いてきていることに間違いはないのです。私の頑張りも、両親の努力の上に立っているのであり、ある程度の基盤と所有権は、これからの理想を創建するうえで、大切なことであり、天運をもたらす何物でもないのです。そして、それは私達夫婦と共にあり、息子夫婦に受け継がれていくべきものなのだと感じるのです。こうして、我が家が両親からの警鐘として印を押され、新時代を息子夫婦によって開いてもらっているという事は、ありがたいことであると思っているのです。
そのためにも、第一に私達夫婦が心がけていかなければならないことは、人さまに役立つ家庭にならなければならないと思っているのです。すなわち、愛情あふれる家庭としての役割を果たすという意識で、地域社会に役立つように努力するという事です。このことに関しては、地域に貢献できる家庭を目指すというのが正道であると思っているのです。そのような役割をなすために、若き青春時代は、波瀾万丈な生き方をしてきたのだと自覚しているのです。第二は、もう結構な年齢になっている私でも、波瀾万丈な生き方を克服して、愛情のこもった実践教育を、道場生にも地域社会の人のためにも、定立させたいという意欲を持っているのです。そのような思いを抱きながら、稽古をして、夕方には、農作業に力を入れた日でした。
結構日が落ちて、月の明かりでもできるかなという程に、頑張ってみました。愛車のプリウスが車検という事で、代車を走らせたのですが、まるっきり愛車との違いが明白なので、早く元の車に戻りたいという気持ちになってしまいました。