2015年6月28日(八段語録2457)
マンションの定例集会

 仙台ニュースカイマンション組合の、年一度の定例集会がなされました。管理組合の決算と次年度の予算がメインです。もちろん、様々な課題の検討をするということもあって、六号議案までの長い集会となりました。当然管理組合のための、会合ではなく、マンション住民の最大の利便性を追求するためということです。最も住みやすい環境を住民の為に調整していくということなのです。そういう意味では、管理組合に向ける方向性ではなく、住民に対する最大の貢献をなすための、集会という事になります。予算は三千万円程の徴収金を、どのように有効に管理費として支出するかという検討という事になります。それだけに、執行部の代案に従えというような集会ではなく、執行部の案に即して、最大限にマンション住民の意見を取り入れたものとなるということです。そのような、大原則があるにもかかわらず、執行部有利の時代が長かったと聞きました。また、それなりの不正も後で指摘されたということです。そうはならないように、業務の誠実さと真心を持って、マンション住民の皆様に感謝されるようにしたいものだと思わされました。
 さて、午前中からの集会を終えて、買ったばかりのアップルウオッチの誤作動が起きてしまいましたので、ヨドバシカメラに出かけ、ウオッチの再起動をかけて、正常にもとしてきました。それから、農作業に出かけようと思ったのですが、夕方近くに時が流れてしまったので、そのまま空手の稽古に突入です。蹴りと突きの連続を一時間あまり、密度の濃い稽古なりました。時間を決めて、技の繰り返しをするのですが、100キロの体重は重いようです。それでも、めげずに、汗をかきながら、熱中したという事でした。稽古の終わった後は、清々しいのですが、年齢が肉体の疲労を強く打ち出すように成ってきているということです。それでも、日々鍛錬というこの修練は、自動的に道場生の見本にならなければならなければという気持ちになるということです。
 実際は、年齢が高くなると、ちょっとさぼりたくなるというのが本音ですが、しっかりと稽古をしなくなるようでは、師範の役割を果たす指導者にはなれないということです。師範としての立つ瀬がないということです。日々の生活を充実させなかったならば、誰も認めないということです。今まで、稽古を重ねて汗と涙を流してきたのですから、ここで止めるわけにはいかないのです。どんな状況でも、師範であるという認定のサインを道場生からもらわなければならないという信念があります。そして、その位置を継続するという事は、並大抵ではないということです。
 そのような基本的な姿勢を貫いた一日でしたが、不十分極まりないという思いがいたします。それでも、課題は一つ一つ解決して、自分の指導者としての姿勢を、正しく貫くという気持ちが大事だと心に留めているのです。農作業は、明日行うこととして、今日はゆっくりしたいという事で、もう家に帰って来て、テレビなど眺めて、リラックスしている状態です。自分の家での居場所が広いという事は、どこか安定します。そして、我が家族を見渡せるような思いにもなれます。課題は後回しにして、今日はゆっくりいたします。そして、明日からの戦いに備えていこうと思っています。