2015年6月27日(八段語録2456)
自己主義から利他主義へ

 朝、疲れがぶり返して、首筋のリンパが腫れているような感覚でした。ちょっと朝は雨が降っていることもあって、我が家で休憩です。それでも、午後からは指導が入っていましたので、駅東に出かけて、新しく入ったメンバーとの交流をしてきました。それから今日は強行スケジュールという事で、休んだ時間を取り戻すかのような勢いで、錦が丘、幸町、成田と動き回りました。その目的は、ご父兄に対しての説明という事でした。説明の中で、道場の指導内容を一通り説明して、納得していただきました。そして、道場の方針に対して、ホームページに載せてある内容の確認をしてほしいという事で、紹介しました。このグループの理念を知ってもらって入門してもらうことが大切であると思ったのです。
 その中でも、強調したことは、道場生としての心構えは、利己主義の顕現をするところではないという事です。奉仕することより、奉仕されることを望む気持から、利他主義の精神を打ち立てるという事なのです。自分に対して、自分の利益の為に従属させるという事しない生き方という発想です。大概の犯罪は、利己心から悪と罪の源が生まれるのです。この原点に立った修業を展開するわけです。いくら知性が高く優れているとしても、自分自身の利益の為に他を利用するようなことになると、最悪の結果をもたらします。そこで、道場での修業は、他の人の利益になるために、自分自身を犠牲にしようという精神を磨くのです。
そのために、健康な肉体を磨き上げ、健全な精神に育てるのです。それだけに、病気にかからない体と心を築き、努力を重ねて、精進し、極真の道を究めようとするのです。
 ところで、空手道の修業は、技を身に着けるという事はもちろんのこと、大きな広い心をもって、利他主義的発想のできる能力を身に着けようとするのです。極真空手の修業を通じて、損をするような発想に思うのですが、修練と訓練によって、世間一般的ではないルールを身に着けるのです。真面目に考えると、ばかげているように思うのですが、空手の稽古をする中で、利他主義が、いかに偉大な生き方であるかという事が実感できるようになるのです。この道場でのこのような指導は、根本的な真髄として、核心をついているのです。要するに、利他主義に徹するならば、与えることによって、自分自身に深く広い心の空間ができ、それが大きくなればなるほど、多くの人との交流を、好感が持てるような姿勢でもって、多くの人を広い深い心の空間で包まれるようになるのです。
 結果、多くの人に良いことをしてあげることになるのです。結局そのような種を蒔いたごとく借り入れるようになるのです。つまり、自己中心主義をまき散らせば、それを借り入れるのであり、利他主義に徹して、人の為に尽くすとその種を借り入れるという事なのです。そのような意味では、利他主義の実践の為に、強い肉体と精神を作っていくという事になるのです。自分を超えて、与え尽くす人は、栄えるようになるという前例を造ってきたのが、私の生き方であると思っているのです。この道場が教えることは、自分を超えた無私の精神に繁栄はもたらされるという確信をもって指導しているのです。しいて言うならば、自己中心的な生き方は、自己崩壊という悲劇的な道に、真っ逆さまに放り出されてしまうという事を自覚すべきであるという警告なのです。このような当たり前の法則を、しっかり身に着ける道場でもあるのです。