2015年6月25日(八段語録2454)
家では粗大ごみ扱いになるのもまじかでは?

 今日は、交通指導隊での立哨日で交通整理、そしてチラシ配布、畑仕事と多岐にわたっての活動になりました。さらに、根白石の田圃の境界線の問題で、土地の分筆をするということで、話を聞きました。畑の雑草も大きくなっていました。何から手を付けたらいいのかということを脳裏にうかべながら、ちょっと草刈り程度で終わりました。いつの間にか月末に差し掛かってきていることに、時の過ぎゆくことの速さを実感しているのです。
 最近フェイスブックにアップするようにしているので、多くの人の関心を集めるようになりました。そんなに大それたことではないのですが、極真会館というレッテルでの問題を提起しながら、試行錯誤している様子をネットに投影するようになりました。表現しているうちに、わずか十数年の歳月で、大きな事をしているのだということも実感です。結構、私には合った道ということです。もちろん、見える戦いではなく、いつも精神的な戦いの連続ということになります。基盤を作るということは、並大抵のことではないということも実感です。
 自分一人のことであれば、小回りも効くのですが、いろいろと評価されるにしても、とんでもない方向から不意打ちを食らいますから、たまったものではないのです。それでも、多くの批判も教訓にして、決して大きな間違いをしないようにと心を砕く日々です。それでも問題があるとすぐに対応するだけの力と行動力も備わってくるようになっているのです。幸い大きな事故もなく、対応することができているのですから、ありがたい限りです。
 もちろん、なんだかんだと弁明するつもりもありませんし、できるだけ準備を重ねて、ち密に綿密に事業をこなしていくだけと認識しているのです。事務所にいる時間に、関西での試合の様子を小林さんから報告がありました。三人の入賞はありましたが、全国レベルに至るには、まだまだ修業が足らないという印象でした。そして、全国に通用する選手となると、一瞬は良いのですが、継続して評価されるに至っていないというのが現実です。そのような意味でも、道場に帰属意識を持ちながら、一生の修業の問題として取り組んで貰いたいと思うのでした。
 今日意識していることは、雑念にとらわれることなく、自分をゼロポイントに置き、いつでも理想の成就に向かうことができるように、準備をするということです。雨が降りそうで、降らない天気ですが、玉ねぎの収穫をすべきか、ということを迷っているうちに、夕闇が迫ってきてしまいました。根白石の家で、食事をしながら、どのようにして、自己の精神世界を邪念の無い清らかな気持ちでいることができるかという事を考えていました。実に、いつも思うことは、修行者としての気持ちが板について離れないと言う事です。世俗的な生き方を極端に嫌ってきたので、どうしようもないことです。
 そして、家に帰ったのは、十時過ぎでした。妻と色々な事を話しているうちに、子供たちの事を話し合ったりして、時間が過ぎてしまいました。ちょっと妻からのクレームは、広い部屋の真ん中に私が陣取っていることに対することでした。この勢いだと、部屋の隅の粗大ごみになる時は近いという予感がしますが、それまで頑張ります。