2015年6月22日(八段語録2451)
汗だらけでの事務所開き

 今日も挑戦です。いまだ経験したことの無い情報処理という事例に取り組みます。敬愛する渡辺先生の事務所開きを行うのです。というのは、事務所が狭いので、隣接している場所を使うということになるのです。距離は30メートル位離れているので、どうするかということで、今回は、動画配信のユーストリームを使って、事務所の神事をはじめ、事務所開きの一切を、仮事務所にネット中継ということになりました。昨日に、情報処理専門の伊藤さんより、環境をセットしてもらったのですが、朝来てみると作動しないのです。慌てて、青砥さんに来てもらい、何とか作動するようにしたのですが、本番二時間八時、この時に、また作動不能ということになりました。何度も事務所を往復しながら、アイホーンを配信側、そしてパソコンを受信側に設定して、大画面に写し出した時には、もうすでに十時を過ぎていました。ぎりぎりの戦いをやってのけたということで、胸をなでおろしました。会場には二百名超える勢いで、来場してくださったのです。支持者の方に迷惑をかけずに、無事ネット配信ができたと、青砥さんと一緒に感無量ということでした。
 さて、今の時代、人生八十年と言われています。喜怒哀楽が入り乱れる歳月ですが、自分が意欲を持って取り組んでいる、時間は実に短いものだと思っています。それでも、このような選挙事務所開きに、慌てて無我夢中という時も、そんなに多くあることではないと思っています。敬愛する渡辺先生との会話でも、八十歳までは、現役ということを、お互い確認していますので、その年齢に向けて、突進ということです。当然、自分の生命が尽きて、火葬されて土に埋められる瞬間、生涯の栄華と名誉は一度に泡となって消えるわけですから、今を大切に生きるということを意識せざるを得ないのです。今日の思い出は、ひやひやしながらの人生の傑作ということです。無事に選挙事務所開きも、博先生としても、予想を上回る人出に、胸を撫で下ろしているというところだと思います。
 ところで、また考えるのですが、人が生まれて死ぬことは、自分の意志によるものではないのです。自分の生死に関しては、何ら選択する権利を持たないのです。生まれようとして、生まれた訳でもなく、生きていても自分の思い通りに生きる訳でもなく、死ぬとしても自分が死のうと思って死ぬのではない気がします。このような人生において、何の権限もないのに、自分がどうのこうのと悩むのもバカバカしいのです。もちろん、自分自身だけの何かを最後まで持つこともできず、死の道を避けることもできない人生ですから、誇ってみても侘しいだけということでしょう。
 そういう事を考えて、結論、私の人生の勝敗をどのようにしようとしているかというならば、自らの意志で選択できる唯一の最高の価値を、どれだけ家族とともに愛情を満たしたかということを意識するということです。もうこの年になると、死を語らないままに生を語ることはできないのです。生の意味を知るためにも、生きるという本当の価値の探検が始まると思っているのです。それだからこそ、罪を犯すことなく、生をエンジョイしようとする心がけは間違っていないと結論つけています。影の無い人生を意識したことは、自分にとって、幸せであると思うのです。腹黒く思っても何の価値を見出すことができないということでしょう。