2015年6月20日(八段語録2449)
合宿審査第一日目

 極真会館宮城県本部の夏合宿審査が行われました。子供たちがメインの行事で、今回の特徴は、白帯の初心者が多いということです。このような、審査会と合宿を通じて、極真空手における武道精神を身に着けるということと、極真空手の強さに近づくということです。このように、道場生が、道場で指導を受けた内容を、辿るように身に着けて、この結果を、すべて現していこうという大事な教育の場ということです。この行事を行うようになって、もうすでに、20年近くの経験を持って、望むようになりました。この教育は、不思議な力を持ち合わせているのです。古武道における秘密を解明して、心身とも強くなる秘密を知るに至るのです。そして、あらゆる人生の邪悪なる誘惑と妨害を退けて、健全な人格の形成の道を開拓していけるのです。こうして、審査を受けるすべての過程を通過することによって、正しい判断ができる道場生へと成長する道を開拓してきたのです。この教育プロセスの実際を、菅野師範をはじめ、北山事務局長、そして道場の指導者が編み出してきたのです。
 さて、この合宿審査は、洗練さて、そこに投入されたスタッフの努力の結実は並大抵のものではないのです。修練を受けた道場生は、この期間によく内容を理解して、この公式を理解して、今後極真の道場生として、応用していく歩みをしさえすればよいという、円熟したプログラムになっているのです。人として生きていくうえで、決して棚から牡丹餅ということではなく、しっかりとした地に足が着いた生き様ができるように、道場での修練が役立つようにプログラムされているといって過言ではないのです。空理空論ではないのです。まさに現実に、道場生の成長に関わっていくということになるのです。よき人材の成長は、この合宿審査を通じて育成していくという自負心が指導者にはみなぎっているのです。  
 ところで、宮城県本部が行っている、このような合宿審査は、単なる空手を身に着ける場だけの修練の場ではないのです。この合宿審査にかける指導者・スタッフの意味が分からなければ、極真空手全体の意味を理解したことにはならないのです。道場生は、夢を持って、その夢の実現と建設のために、道場が集まっていると見なすのです。そのような意味では、安易な生き様を人生とするよりは、自分の能力を発揮して、最高の人生を歩んだという結果を残してあげたい訳です。それだけに、最高に指導することではなく、指導した内容を歩ませるということなのです。そのための、合宿審査の意義は大きいと思うのです。毎年精度が上がって、結果、よき人材に成長するのです。
 そのようなスタッフの現場の努力を陰ながら支えて、その指導力の成長を見守るような立場に立っているのも、この道場ということになります。そうすることによって、すそ野が広がり、極真空手の修業を積んできたので、今の極真会館宮城県本部があるという実感をしてもらいたいという気持ちになるのです。道場の質の向上を実感するので、道場生の成長を目の前で感じることができるというのも、最高にやりがいのあることなのです。今日の日に感謝して、次へのステッフを踏んでいこうという気持ちになります。写真もついでにアップしました。本当に、道場生にとって、飛躍の合宿審査であることに、自信を深めているのです。