2015年6月18日(八段語録2448)
短い人生

 日々忙しくて、道を外す暇がないようです。それにしても、人生は短いものです。もう故郷に帰ってきた日々がいつ過ぎたか分からなくなってしまいます。隣に休んでいる妻とももう既に、四十年余りの間、共に歩んでいるのです。不可思議です。そう思うと、人生忙しいという事になるということです。我が家は、親父とお袋で、裸一貫で築き上げた家なのです。親子二代でここまで来たのですが、六十年の歴史がつづられてきているのです。そのパワーは大きいものがあります。そして、三代目の息子へと移行していくのです。こうして考えると、子孫へとつなげていくという事が、いかに力強いかということも実感するのです。小さかろうと大きかろうと、家を繋いでいくという事は、大変な事です。一歩間違えると、家が絶家してしまいます。あるいは、対立と闘争がしてしまう関係にもなってしまいかねません。
 さて、そう思うと、世代を引き継ぐものとして、正しく後世につなげていきたいという気持ちになります。両親から生まれた存在として、妻と出会い、共に道を歩んできながら、子供を産んで、苦労を重ねてきたのですが、無駄にはしたくないという思いになります。最近心掛けてきていることは、険しい岩だらけの道でも、誤って故障させてしまわないようにということです。故障すれば、それ以上歩むことができなくなるし、修理しなければならないのです。その修理能力がどれ程私にあるかというならば、皆無に等しいと思っているのです。立場上、更生保護に力を入れているのですが、犯罪に陥った人が、再び更生する道は厳しいものがあります。それは一年二年ではないのです。十年も二十年もかかってしまいます。そこを抜け出さなければ、再犯の道が待っているだけなのです。
 そのような事を考えることもでもなく、一生というものは早いものです。物事に分別がつき、事情を踏まえるようになって、六十歳を過ぎてしまうのですから、つかの間です。それでも、天秤のように同じことを、上がったり下がったりして、つまらないことを堂々巡りしているという事が、余りにも多いのです。この年齢からのビジョンを考えて、実践しているのですが、思うように行かないことも多いということです。自分の顔をまじまじと眺めていると、老け顔が目立つ年齢になっているということです。
 今日は、あらゆることを整理しながら、新規の最前線に身を乗り出していきました。高速道路の補助金の申請や、会社のクレジットカードの手配とか、様々雑用をお願いしながら、時間よ止まれと、思いながら、進むべき道のりを自分の中で整理できた一日のような気がします。最近、居間を広くしました。お客さんの接待ということよりも、自分の環境を広くしたいという事でした。この広い居間の空間にパソコンを置き、家族の事を思ったり、家族が出入りすることに気持ちを回せば、いろいろな事に気づかされます。最近の自分の事を分析するならば、何かを思いめぐらせている時間が長くなっています。そして、それに対しての理屈をつけているのです。さらに、気が付くことは、若い時と違って、実践が少なくなっています。そんな事を考えると、心の世界の開拓がされて、それに伴って、実行面が少なくなっているという事でしょう。まぁいいかという気持ちもありまして、それなりに今日も歩んだということなのだと思うに至っています。