2015年6月17日(八段語録2447)
どのような感覚で暮したか

 朝に、妻と一緒に畑に出かけてきました。ちょっと曇ってはいますが、雨は落ちてこないようです。ちょうど、暑くもなく寒くもなく、風もなく、湿度もそんなに高くなく、いい環境での作業です。今日のメインは梅木から梅の実を収穫するという事でした。目標は三十キロです。我が家と下宿の一年分の梅干しを漬けるという作業ということです。午前中にすべてを終わらせるという目標でした。農作業よりも、夫婦で同じ作業をしているのがとても嬉しいということです。何か愛が充満して詰まっているような感覚で共に作業です。こうして、作業をしているのですが、夫婦が共に愛情を抱きながらの作業ですから、とても幸せです。もちろん、主体的に動くのが千順さんで、私は指示を受けながら、右往左往しているというのが実際の動きということなのです。さて、私はというならば、能力を発揮しているというよりは、千順さんに拍子を合わせて動いているということです。つまり、妻の指示で動く存在になっているということです。それは、もう妻の気持ちになって動いているという事であり、妻の言葉に答えているということです。それが夫婦には可能であるというのです。別に気を張る必要もないのです。すべては竜宮城の出来事のように思えば、なんでも自由な感覚で、愛の心を持って、夫婦仲良く息をすることができるということなのです。もう、私としては、理屈抜きに自由自在に妻と共にいるということなのでしょう。楽しいことです。私の場合、そんなに長くない人生、夫婦で深い愛情の経験を多く持ちたいという欲求があるのです。そうすると、共にいて、何の制約も受けないのです。自由にどこにでも行けるという感覚です。
 ところで、畑の自然は豊かなのです。空気は泉ヶ岳からマイナスイオンを運んでくれます。里山で回りは囲まれていて、季節もさわやかです。そんな中での私の心は、愛の空気で満たされるということです。その愛情を鼻で息をするというよりは、頭のてっぺんから、細胞全体で息をするのです。もう妻をどうこう指図して、いい気分になろうなどとは夢にも思わないのです。私の目標は愛の人格を具備して、その雰囲気を味わう事だけに楽しみを持とうとする贅沢な生活をしているということなのです。一切お金はかからない生き方ということです。
午前中の楽しい農作業を終わらせて、午後からは、新田小学校の前で、北山事務局長といつもの行事を行ってきました。夕方からは、北山事務局長の案内で、名取市の施設を見学してきました。多くの青少年に極真空手の伝播をしていく役割がありますので、いろいろと状況を施設の人に聞きながら、夢を募らせて帰ってきました。ちょっと疲れた体でありましたが、夜は空手の練習です。突きと蹴りを連続させながら、老体に鞭打って、二時間余りに稽古をして、今日のスケジュールを終えたのでした。日々鍛錬という事を意識しながら、人生のエンジョイを意識した一日が終わりました。