2015年6月11日(八段語録2441)
後継者に望みをつないで

 今日も暗中模索するのですが、この極真の道を選手だけでなく、指導者としても歩み続けているという事は、不思議な気がしますが、自分としては、このような不器用な歩み方しかできないということです。いろいろと冒険することもできましたし、途中で辞めることもできました。しかし、私という人間が生を受けて、一度、歩みだしたならば、歩み続けるのが私の才能であるという事しか頭になかったのです。趣味という次元ではなかったのです。最後まで、極真空手の全過程を走りぬくという事以外に考えなかったということです。いろいろ考えました。先輩師範に学んだ事も多くありました。その一つに、運営をしっかりするという事でした。それは財産として与えていただきました。そして、何度も何度もあり得る限り、慎重さと石橋を叩きながら、正しいかどうかの判断を吟味しながら歩んできました。結果的に、この年齢まで正しく歩んでこられたということです。
 新規入門、稽古でのトレーニングを通じて、人がどのように成長するのかという事を、実験に実験を重ねながら、私が実践している理論が本当に正しいかの確認をしてきました。何度もテストを重ねた結果、今の状況まで来ているのです。最初は、一人で理論の実験を試していましたが、そのうちに弟子が私以上に育ち始めたのです。そして、私の失敗を補い、更なる挑戦をこの六年の間、試行錯誤してきたのです。私も会長と共に、極真会館への忠誠を誓約した一人として、中途半端な道を行くことはできないという思いになります。
 ところで、図々しいのですが、最後まで極真の道を歩もうとする私は、人生のすべての面において、大山総裁以上の歩みをしたいというのが本音です。総裁と競争して打ち負かさなければ、只のコピーで終わってしまうと思うのです。もちろん、あの世では、私以上の事をして欲しいと願っている総裁がいるも思っているわけです。そのような事で、何度もこれからの人生で、やらなければならない役割は多いはずです。息子もこれから、基本的な事を学ぶのに、十数年の年月が必要になるのではないかと思うのです。私の使命を残して昇天することなどできるはずはないのです。使命を託す後継者が、これから何人も育ってくれなければ、生きた心地もしないということです。
 今日も、傷ついて肉体を引きずりながら、この極真会館手塚グループの運命を、世界のありとあらゆるところに痕跡を残すのが私の役割であると思っているのです。何としても、この武道を世界に定着させ、破滅へ行かんとする青少年を一人でも、つなぎとめて、良き社会づくりの先鋒を担ぐことができる、担い手を作っていきたいと思うのです。今日は、夕方から、畑に出かけました。ロシアに10日間もいたので、おろそかにしていた、トウモロコシの苗を植える事、ナンバンの苗、キュウリの苗を植えてきました。明日、雨が降れば、順調に生育するはずということです。そして、畑で夕暮れまで、耕していましたが、自分が、自然に守られているという実感をするのでした。こうして健康で、畑を耕しながら、自然と対話しながら、なんでもない今日を過ごせることに、感謝です。その後、別荘の管理人の池浦夫妻と、南さんとの交流をしながら、この世に生を受けて、歩んでいることに、不思議な縁を感じるという話をしながら、生まれているからには、なすべき責任があるという事を話し合いました。