2015年6月9日(八段語録2439)
ふと親父を思う

 日々の歩みに感謝です。今日も心の中では、家族の事、道場の事を思い浮かべながら、デスクに座っています。部屋の改造から三日目になります。広々としています。魂を磨きながら、やるべきことをどのように展開していくかという課題を戦略として練っています。こうして人生を歩んでいると、夢を膨らませながら、年老いていくことに、今更ながら、新たなるエネルギーが湧いてくるのは不思議に思うのです。
私は両親に恵まれました。善良なる家庭なのです。母から聞かされるのですが、親父がリヤカーで母の実家の泉ヶ岳から仙台市内に山道を運んだそうです。母が言うには、汗をかきながら、山坂を上り下りして、必死になって母をリヤカーに乗せて、安アパートの新居に連れてきたそうです。そんな両親の精神が私には宿っているのでしょう。千順さんを大切にしてきた、四十年余りに歳月であると思っています。今でも、千順さんが苦労する姿を見て、我知らず涙が流れてしまうのです。
 そんな、千順さんを思う気持ちは、親父が母を思って歩んだ人生と重複するような気がします。この家は、千順さんの苦労があるから、差し迫ったあらゆる事情を消化して、切実な気持ちで歩んでいる姿に、私の心にも、感動が押し寄せてくるのです。息子夫婦に気をかけながら、二人の娘の課題に向き合いながら、睡眠時間を削りながら歩む姿があるのです。親としての苦しみ、悲しみを味わい、痛感しながら歩む千順さんの姿に、幾度となく心を砕きたくなってしまいます。それでも、すべてをサポートできない自分にも、苛立ちも覚えてしまいます。今、人生の分岐点で、子供達も戦っています。そのサポートに心を寄せるのですが、どれだけ通じているかは不明なのです。いつも心の中で、神仏に手を合わせようと祈りをささげてしまう自分もあるのです。
 ところで、必死に家庭を守ってきた親父の姿に、素晴らしい人格の形成を見るのです。そして、親父が歩んできた人生のパターンに負けないように、親父以上の人間を目指さなければならないのが、今の自分であろうと思うのです。というのも、私には理想だけに走ってきた青春時代がありました。その間、親父は、私以上の人生の苦労の道を歩んできたという事を理解するようになっているのです。四十歳になろうとするときに、私は家族ともども実家に帰ってきました。何も無い私達の家族に、家を建て、ありとあらゆる事で、子供達の援助を惜しまなくしてくれたのです。
つまり、私を実家に呼び寄せるために、すべての準備をしてくれたということなのです。青春の夢を抱いて、その延長で実家に舞い戻って来た私に、すべての援助を差し伸べたということなのです。私が途方もない事を言いだしても、受け入れてくれました。四十歳にもなって、大学に行くぞという決意に、経済的なバックアップもし、まして大学院に行くという事でも、大きな気持ちで援助してくれました。このような父親は、他にいるでしょうか。そして、今その親父のような立場に立っている自分があるのです。そのレベルの、広い心と経済力を持って、子供たちに対応できるかというと、限りなく遠くに感じてしまいます。それだけに、これからの人生は、広い心、大きな心で、次の世代を、愛情を持って見つめていきたいと思うのです。