2015年6月7日(八段語録2437)
someday

 真っ青な青空、晴れ渡る自然に感嘆です。昨日はちょっと雲が多かったのですが、今日は朝早くから、輝く眩しいばかりの朝日と新緑が目を刺激してきます。蔵王連峰の山々まで、美しく映りだされてきます。映画のスクーリンを見るようです。ロシア訪問から二日経っていますが、未だに時差ボケが治らず、夢遊病者のように、大地を闊歩している気分です。息子の聖義はというならば、走るという快感を覚えて、毎日数キロの距離を走ってくるのです。身体はかなり引き締まってきました。それも、年末にある昇段試験を受けるという覚悟から持久力を養うための有酸素運動ということです。もう肉体面に関しては、専門用語を駆使して、整理する能力を持っているようです。親が素人感覚で言うものならば、根拠を示して、論破する勢いです。実に頼もしい限りです。
 夕方になって、長野からお客さんが来ていました。部屋はタンスを動かして、六畳と八畳の部屋が一部屋になりましたので、とても広く感じます。私の念願の部屋になってきています。東側にソファーを置いて、そこに高めのテーブルに、パソコンを置くという配置です。そうなると、一階は、台所の六畳と襖を開ければつながるという配置になって、家族が、玄関を開けて帰ってくる様子や、台所での調理、風呂に入っていく足音など、手に取るように分かるようになりました。長男夫婦に待望の第一子として男の子が8月13日に授かるのですから、もうおじいちゃんとしての準備をするということなのかもしれません。
 私もちょっと人生を振り返って、考えると、二十歳までの青春時代、四十歳までの成熟した選手修行時代、六十歳までの、極真指導者の時代に大まかに分けることができます。これからは、六十歳から第四次二十年でしょうか。八十歳までは、息子家庭・娘家庭に愛情を注ぐ時代になるのではないかという感覚を持っています。今までの六十年を通して、あらゆるものを準備してきたという思いがするのです。人生の成熟期がこれからやってくるのだという確信を持ってしまいます。何をなすべきか、というならば、道場生はもちろんの事、子供達にも高い道徳的な義務を学んでもらうようにしなければならないと思っているのです。これは、家族関係以外の他の場所では、決して学ぶことができない内容なのです。私もいつの間にか、地域社会でも中堅の指導者になってきているのです。これか目指すことは、しっかりとした家庭を築くという事ではないかと思うに至っているのです。
家族は、道場と同じように課題も問題も集積しています。それでもお互いの為に分かち合うことができる道を歩むということが必要になってきているのではないかと思うのです。もう人生では、十分に高齢の立場です。お爺ちゃんですから、愛情深く、多くの味を出すことができるのです。ですから、お互いに思いやる気持ちを大切にして、より良き家庭を、道場と共に暮らしたいという事を考えようとしているのです。親と子の関係も愛と尊敬で、夫婦は信頼関係と愛を基盤として、兄弟同士は助け合い、信じあえることができるように目指したいものです。長野からのお客さんは、かつて妻の知り合いでした。素朴なご夫婦と、二人のお子さんでした。お客さんの長男の嫁さんは、息子の嫁の茂奈ちゃんと同級生になるお孫さんを身ごもっているという事でした。今日も良き日でした。