2015年6月4日(八段語録2434)
帰国

 カザン空港から、モスクワへ、そして成田に向かう帰路につきました。カザンで空港に来たのですが、ここは実に平和で穏やかという国になっているのです。国内では、内戦もなく平和で銃剣を高く上げた兵士が空港を監視したり、道路を閉鎖したりする光景は全くなかったのです。第一回目に訪露した時は、相変わらず紛争と葛藤の絶え間ないような状況があったのですが、今は、平和をイメージできるようになっているのです。
多額な軍事費がロシアでも使われ、ウクライナの紛争が起きているという事を考えると、いつ逆戻りするかもわからないと感じるのは私の間違いであって欲しいと思うばかりでした。カザンやモスクワでの印象は、理念や宗教の違いにゆえに、相手を憎み、互いに敵対し合うという環境は無くなっているイメージを受けるのです。それにしても、イスラーム国の動きを考えると、極真空手が平和の架け橋をするような仕事にならないかと思うのです。
極真空手の稽古で感じることは、入門して以来、世界の人が平和に暮らせたらという思いが強いのです。もちろん世界を眺めると、平和に暮らすという事は、容易ではないという事を感じてしまうのです。
 ロシアに来て思うことは、中学の社会科では、ソ連については、鉄のカーテンが引かれていると習ったものです。そして東西冷戦時代、理念について世界が真っ二つに分かれる経験を持ちました。そして共産主義さえなくなれば、平和がやってくるように思ったのですが、実際は、人種間、宗教間で反目し、出身地域の相違でも対立が多くなってきました。
互いに、敵対感情をむき出しにして、まったく平和と関係ない方向に行ったという事を今は感じているのです。それにしても、宗教をベースとした戦争ほど、怖いものは無いと思えるのです。 ボスミアの内戦では、民族浄化の一環とて、イスラーム信者を一掃する政策が取られ、宗教を前面に出した人種間の戦争が最も残酷に展開したのでした。ロシアの空港で、このような事を考えながら、イスラーム国との宗教戦争の悪夢が、いまだ二十一世紀も続いているのです。
 ところで、極真会館に関しても指導者の心が正しくなければ、世界の極真としての行き場を失ってしまうと思うのです。ロシアを訪れたことによって、自覚すべきことは、お互いを認め合い助け合うことによって、互いに生きるという事をメインにするのが真理に生きるという事になると思うのです。このような理念がなければ、必ず滅亡以外にないという事でしょう。お互いに罵倒し合って、争うことが続けば、人類に未来はないということです。
 ロシアに来て感じたことは、希望の絆をつかんで放さず、生涯、平和を夢見て生きるということなのだと思うのです。私の願いは、国境を撤廃していき、国の垣根を越えて、極真空手を通じて、一つになる世の中を作ることであれると思っています。この十日余りの期間で、自分の心も純粋になって、新たなる一日を過ごそうという気持ちです。そのような素晴らしい、ロシア訪問の期間であったと感謝の念が湧いてくるのです。このような文章を書けるのも、日々極真の精神を貫いているからであると思うのです。