2015年5月31日(八段語録2430)
ロシアの大会
ロシアの第二の都市カザンでの三日目を迎えました。朝八時に食事を済ませて、ホテルから近くの市街地の、新しくできたばかりの体育館に移動です。極真会館がコケラオトシという事でした。かつての体育館は第二次世界大戦前に建てられたようなもので、使いづらい点が多かったのですが、今度の体育館は近代建設の最先端を観るようでした。二百名近くの選手が、参加していました。十時ピッタリに開会式が行われ、スムーズな運営をしていました。パンフレットもしっかり作って、本格的なロシア大会が開かれました。試合内容は、審判が選手系の人が多数なので、延長に次ぐ延長という事を繰り返していました。まさに体力勝負ということでした。昔の経験から、選手寿命が短くなるような試合ということです。それで、試合に出る選手が少なくなるようでしたら、もう少しポイントの基準を決めて、勝ち負けを判定するようにと思えたのですが、それは、会議の時に発言しようと思うのでした。
まさに、私が全日本で試合をしたような雰囲気という事でしょう。それでも、感じるのは、一般の選手層が少なくなっているということです。子供は増えましたが、社会人の選手離れはロシアでもあるのだという状態を見たということです。それでも、極真空手の本来のレベルが展開しているようでした。今の日本での試合ではない内容ですが、まさしく武道空手という事に他ならないのです。会議でもう少し近代化の道を示すべく、提案することが多くあったということです。確かに顔を見れば、民族の文化背景、風習、あるいは伝統が異なっているという事は、一目瞭然です。その中で、極真の伝統は、世界中、同じように直結しているのですから不思議なことです。極真精神は、そのような違いを収拾し、東西四方の文化的背景も諸共せずに、武士道に通じる人格者を作るのですから、それは素晴らしいと言いようがないということです。
ところで、大会は、ボリス師範の弟子で審判員は賄われていました。意思疎通も、しっかりしていて、極真空手の組織運営としては、申し分のない運営をしていました。この大会は確かに切磋琢磨する試合と裏腹に、選手同士がより強い絆を作っているようでした。お互いを思いやり、試合の終わった後は、本当に親しい関係になるのです。まさに、極真の試合は、お互いの為を、思う心を大切にしているのだという事を実感するのです。それだから、選手同士が謙遜・柔和な心境になり、互いに仲が良くなるということなのです。それゆえ、真剣勝負をした後は、お互いがお互いを高め、理想の関係を築けるようになるのではないかと思えるのでした。
試合が四時半には終わってしまいましたので、これから表彰式と、さよならパーティがあるということですから、それに備えて、小一時間休もうと思うのです。そんな中、わずかな時間ですが、感想を書き留めて、フェイスブックに乗せようとするのですから、まだ余裕があるということなのでしょう。このような大会を見ると、勝手な感想ですが、極真空手が分裂していくことに、怒りを覚えるほど耐えがたさを感じます。この五感すべてが、やりきれない思いにもなります。そのような意味でも、手塚グループが、愛情を抱いて、他のグループを抱きかかえるようでなければならないと思うのでした。そう思うと、困難な道が多いのだという事でしょう。