2015年5月29日(八段語録2428)
ロシア第一日目
今日はロシアのボリス師範と朝から一緒です。このカザンの有力者と一緒にカフェで朝食を済ませました。極真空手道に造詣をもち、空手を愛する人が有力者になっているのです。ここでも心の豊かな人に出会ったという気持ちです。極真空手という日本から伝播されてきた武道をしっかりと尊敬して、このロシアに定着させて、生活の精神的な中心にしているのですから、素晴らしいとしか、いいようがないのです。本当に、私からしてもロシアでの極真空手が、尊敬の対象になってしまいます。
別に極真空手を押し付けているわけでもないのです。本当に尊敬しているのです。そんな様子を見ながら、自分がやってきたことに対しての誇りを感じてしまうのでした。国境を越えて、国の代表者としてのプーチン大統領の日本の柔道を精神的バックボーンにしているから不思議です。本当にありがたいことです。あとは政治的な問題の解決に将来を託すしかないという事でしょうか。
極真空手を修行している人と、そうでない人を見ても、ここロシアでも肉体的に見ても普通の人とは違っています。そして、精神的にも、思想的にもまた変化をしていると感じるのです。このように極真空手を通じて、人の内外の人格を決定していくのだという事を感じるのです。このように極真空手を通じて精神的分野を広げるという作業ができるのだという事でしょう。人が持っている欲望を、体のままに生じさせるのではなく、極真精神でろ過しうる空手が、ある社会や国家・世界の限界を超えてしまっていると思ってしまいます。さらに進んで、過去・現在・未来までも超えてしまうと思うのです。
ところで、極真空手を追求しているロシアの道場生を見ても、その外見や学歴、地位や経歴が、どうのこうのという事ではないのです。あくまでも極真精神を追求して生きているかという事になるのです。何か外的に華麗で多様性を強調する者でもないのです。空手道を追求する変わらない心、そのような生活ができる人が、私達が付き合っていける道場生という事になるのです。どの国の道場生でも、言葉だけでなく、武士道の関連した人格の表示であり、これが基準になっていくという事でしょう。道を追求する悟りの世界での人格という事は、極真の修行から出てくるのです。一生を通じて、空手道を守るということができる人が初めて、極真の水準が高い人という事になるのでしょう。
そのような意味でも、ロシアのカザンで極真の伝統と約束が実践され履行されているということをありがたく感謝するのです。日本から発祥したにせよ、立てられた伝統を実践していることに変わりはないのです。私もですが、お互いに、極真精神の落伍者にならないように、努力を重ねていきたいものであると思ったのでした。会長も今回が最後の訪問かもしれないと話されながら、それでも、目は輝いていました。いつまでも現役で、海外の極真空手の発展を見届けていきたいという気持ちが、表情に現れていました。今日は、稽古もしましたので、疲れ切ってホテルに帰ってきました。心地よい疲れが眠気を誘っているようでした。実に贅沢な今日の日を送ったということです。