2015年5月28日(八段語録2427)
モスクワ行の機内で

 会長とモスクワへアエロフロートで成田から出発です。10時間の機内での拘束を受けることになりました。去年のベルギー以来の旅ということです。ロシアのボリス師範の道場でのスケジュールという事で、キャンプのようです。元のソ連邦の国々から支部長達が参加します。今回はモスクワから、飛行機でカザンに行くルートで、いつもの寝台列車というコースではないので、短い時間での目的地に到着という事になります。モスクワの空港では、案内してくれる道場生が待っているということです。機内で会長といろいろ話すのです。会長の人柄にあった人達が集まるものです。決してよこしまな、野望にあふれているような責任者は国内外とも集まっていないということです。このグループの未来は明るいと感じるのも、会長の人柄の繁栄であると思ってしまいます。
 さて、機内で考えているのは、今回は次女のことです。何か目的がつかめず、苦しんでいるようです。そんな中、彼女には歌があるということですから、何か生かせる道があるのであればいいのではないかと考えてしまいます。彼女は自分で作詞作曲の歌を数十曲、持ち歌としてあるのです。それを最大限に生かすことができるのが親の務めかなと機内で考えていました。老人ホームを慰問しながら、舞台をボランティア活動という事で、喜んでもらうのもいいのではないかということです。何か本人が利他的に誰かに奉仕するということができるならば、結局は自分も生かされるようになるのではないかと、親心に思うのです。数日前から、気持ちが上がったり下がったりと続いていました。その落差が大きく、下がると、存在そのものが消えてしまいそうになるようです。
 ところで、子供が二十歳を越えれば、子育ては終わるのではないかと思っていましたが、とんでもないことです。長男の家庭、そして長女の婚約、次女の精神的な安定と、役割は続きそうです。妻の苦労も、相当なものです。日々誰かを心配しています。そして、サポートしようとする気持ちでいっぱいということです。妻の悩みは尽きないのです。身体を壊す程の投入ぶりです。私は父親という事で、原則論を主張しますが、妻は、お腹を痛めたということもあって、全身全霊投入するということです。そんな妻の姿を見れば、何か支えてあげたいと思うのですが、気持ちの幅には周波数があるようです。それでも、私なりに、気持ちを子供たちと妻に投入するという事になります。
 もうすぐ、この飛行機は、高度を下げて、モスクワの空港目指して、着陸態勢を取るようです。隣に会長がいて、10時間余りの時間、いろいろ話したり、ウオークマンを聞いたり、退屈ですが、有意義な時間を過ごしました。正午に出発して、十時間経っているのですが、モスクワ時間は、午後4時過ぎですから、時差ボケがありすぎて、体内時計がくるってしまいます。今日も様々な思いが心を去来しましたが、会長と歩んだこの二十年弱の期間、私は恵まれたのだという事を実感するのです。そして、会長が元気であり続けるように祈るばかりです。会長の行動計画として、来月はベルギー、再来月は、カナダとスケジュールを入れています。それをどのようにカバーできるかが、私の役割ということです。そのような思いを去来させながら、着陸が近づいていますから、画面を閉じたいと思います。