2015年5月24日(八段語録2423)
手入れされた畑

 私の場合、妻の千順さんが、私との愛情の絆を築いているがゆえに、いくら極真の師範の私とでも、仕方なくともコントロールされてしまいます。妻が努力しているのでなく、権力を持っているのでもなく、何も無いようなのですが、土足で私の心に入ってきて、なんでもし放題です。そして、その様子を、何も気を留めることなく、コントロールされるがままに、されているのです。こんなに私が力強い男なのに、まったく恐れることもなく、どしどしと引っ掻き回してきます。今日も畑の倉庫から玄米を精米して、家に運んでおくようにという指示がありました。それを素直に受け入れているのです。
 もう既に、妻は私と同等以上な立場で振る舞っているのです。かつて、出会った時のころを思い出すのですが、アルプスの少女ハイジのように可愛い女の子というイメージでしたが、時が四十年も経過すると、もう既に、女王の風格さえあるのです。確かに少女のような立場から、子供が生まれ育つようになると、飛び越えていく勢いということなのでしょう。驚くべく事実が展開していることに、不思議にも思わないのですから、これまた不可解なことです。このような資格を妻は持っているのです。それは、私を心から愛するが故ということなのです。それゆえに、私を所有する能力と権限を持ち合わせているのです。私を愛する事によって、我が家の権勢のすべてを誇るようになっているのです。
 ところで、今の千順さんは、家族に立脚して最大の人格を備えているかのように、あらゆる能力を行使することを可能にしているのです。その能力の行使に対して、私はというならば、好きになっているので、何とも思わないし、愛情で満たされているという感覚になるのです。私と妻とは夫婦の絆を固く結んでいるという事で、私の生命よりも、妻の生命が尊いと思える程になっているのです。誰が主人になっているかというならば、私に誰よりも愛情を注ごうとしている千順さんということなのでしょう。私の部屋に許可など貰わずに入ってこられるのも、私の事を四六時中思っているからという理由が的確という事になるのです。もう既に、私の一番の友達であり、その友達を、いつも中央に置いているということなのです。愛情を持って、所有されるという事は、もう既に私が、骨抜きになっているのかもしれません。そのような権限を妻は、四十年の間、夫婦として培ってきたのです。そして、その能力に何の疑いを持っていない私がいるのです。妻には、無限な力が供給されていて、すべての事に通じているのです。決して私が叶うはずがないのです。
 そんな気持ちで、日曜日を畑で汗を流して、農作業しているのです。それも結構充実しているのです。畑の雑草の勢いは凄いものがあります。私は、「畑」かなと、つくづく感じてしまいます。日々の生活で、良き野菜はしっかり育てられ、雑草はむしり取られて綺麗に整備されているということです。妻の怒りやヒステリーも何のその、畑を綺麗に整備する要因であるという自覚に転じてしまいます。夜に帰ると妻が迎えてくれました。少し子供たち話をしながら、なんだかんだと会話をしていましたが、いつの間にか、私も寝入ってしまったようです。ちょっと目を覚まして、妻にチョッカイをかけたら、怒られてしまいました。