2015年5月23日(八段語録2422)
食物に感謝

 土曜日になりました。審査会の予定でしたが、小学校の運動会で参加人数が限られるようになったこともあって、全教室お休みという事になりました。それもあって、今日は、農業に勤しむという選択をしました。午前十時から始めました。三時間も過ぎると、熱中症の状態になってきたので、昼食をしましたが、一時から四時まで休むようにしました。これも年齢を考慮してという事になります。仙台に帰ってから親父の手伝いをしましたので、二十三年の間、農業に従事しているということです。最初は、ジャガイモの畝を立てるだけでしたが、そのうちに種イモを植えるようになり、ジャガイモ専門の農業をするようになっていました。親父も天に召されましたので、今では、野菜全般、育てるようになっているのです。今年は、キュウリ・スナックエンドウ・キュウリ・ナス・トマト・白菜・キャベツ・ネギ・トウモロコシ・ナンバン・オクラ・カボチャ・イチゴ・オクラ・ピーマン・ジャガイモ・玉ねぎ・しそ・ゴボウ・ニンジンと二十種類の野菜で畑は埋め尽くされているのです。もちろん、温室でこれからも苗の生産に至ろうとするのですから、今年は、三十種類に及ぶのではないかと思っています。
 さて、ちょっと考えるのですが、これらの野菜を食べていくのですが、無慈悲に切り、食物として食べるために、歯でかみ砕き、それを飲み込んでいるのです。それでも、野菜は人に反旗を翻すことはしません。私達人間の生命維持のために、役立っているのです。ましてや最近は、肉をよく食べるようになっています。豚肉であれ、牛肉であれ、数日前までは生きていたのです。その生きた動物を、おいしく食べているということです。そうすると、食べる食料に感謝せざるを得ないというのが、正直な自分の気持ちになります。豚や牛を思えば、よりリアルに映るのですが、人間と植物の調和が成り立っているのです。もちろん、外国の人は、クジラを食べる文化はないので、反捕鯨という事で、日本に対してバッシングしていますが、それでも、食糧という事にもなるのです。
 ところで、皿の上にある植物が、私に対して反感を抱き、嫌って怒りを示すようであれば、消化不良を起こし、胃腸の炎症はもとより、病気になってしまいます。ところが、人間と植物は見事に調和を取っているのです。食べ物にデモをされたら、場合によっては生命もなくなる可能性もあるわけです。結局のところ、食物の土台の上に生きているということですから、感謝するという気持ちは大切なことです。なぜならば、人間が食物を殺生していることに変わりがないからです。それが悪いことはないようです。人間の勝手な解釈ですが、食物と人間が調和を保っている事に他ならないのです。
 そんな事を考えながら、気温三十度にもなる畑で、農業に精を出しているのでした。今年の畑のできは、自分でも素晴らしいと思えるのです。第一に綺麗です。500坪にもなる広さなので、上手に手際よく整頓しました。幅が広かったので、中央に畦を作り、歩きやすいようにしました。耕作面積が狭くなると思ったのですが、上手に耕運機や、一輪車を動かせて、便利になったという印象です。結構趣味ということでもなく、大掛かりな農業になっていますが、エンジョイしていきたいと思っているのです。