2015年5月22日(八段語録2421)
正しく生きる

 この年になると、極真会館で歩んだ道のりは、どんなことがあっても否定できないという気持ちになります。台風が吹き付けても、たとえ自分が間違っていたとしても、極真空手で歩んできた道のりを否定することはできないのです。確固不動の信念に固まっているのです。青春時代と今とが、違った姿勢を持っていたとしたら、あまりにも愚かであるとしか、言いようがないのです。極真で歩んだ道がどのような道であったかというならば、今の自分と距離が遠いという事であれば、どのようにするかというならば、縮めるようにするしかないのが自分ということです。自分に対して、その距離を縮める攻撃を仕掛けるようにするだけなのです。このような事を言うのも、ややもすれば、自分が可愛いのです。擁護する立場、なんでも味方する立場の人だけをエコヒイキするようになるのです。そうすると、極真精神とかけ離れていることに気が付かなくなってしまうのです。
 それだからこそ、今でも極真精神に近づこうとする努力を怠らないようにしているのです。少し傲慢ですが、極真精神は自分からなされるという気持ちになるのです。いくら、道場が極真精神に充ち溢れているとしても、その精神が自分かけ離れているとするならば、道場と関係なくなるということです。この精神で世間を渡ってきました。自分が世間に負けてしまった精神ではないのです。世の中の習慣的な環境に身を置くことしなかったということです。もちろん、常態化したマンネリ化の中には身を置こうとしないのは、今も変わっていないということです。強く自分に言い聞かせながら、この環境を克服するために、絶えず極真精神に立ち止り、自分を磨くという事を優先してきたということです。そのような意味では、世間の甘い誘惑のトリックからたぶらかされないようにするのみという事でしょう。
 ところで、今日は、法務省主唱の宮城県実行委員会に参加してきました。例年と違って、しっかりと事務局として保護観察所が議長を務めて、方針から予算そして決算と議事を進めていました。いつもの委員会であると、予算や決算の審議はなく、何か講演会のような内容になっていたように思うのですが、本格的な議事進行という事でした。議題は、基準の高いレベルのものですが、実際の活動との乖離はいがめないものがありました。そのまま、お題目のように、読むだけで、何の変化は起きないものであると思うのでした。そのような現状を打開するためにも、社明運動という戦いの中で実践していきたいと思うのでした。社明に責任を持って歩むからには、多くの人との絆を持ちながら、社会を明るくする運動の目的のために戦っていかなければならないのではないかと強く思うのでした。
 今まで、社明活動に携わって、どれほど至らず、活動の充実に到達していなかったかという事を反省して、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、頑張ろうと思う次第でした。夜は、娘たちと話し合いをすることができました。さまざまな課題を抱えている娘たちにアドバイスをするのですが、世代の違いから、戸惑うような気持ちにもなります。それでも、父親として話すべきこことは、しっかり話して、次の世代に受け継いでもらいたいという事に重点を置いていきたいと思ったのでした。