2015年5月21日(八段語録2420)
夢を抱いて
青春時代は金が本当に無かった。風呂に代が26円だったように思うのです。金のかからない生活をしていたという事でしょう。それでも、この道を歩き続けたら、いつかは夢に辿り続けるのではないかと思ったのです。目標は、先輩の黒帯の姿であったのです。必ずたどり着いて、黒帯を目指そうと思ったのですから、そんな黒帯に対する思いだけを、信じて歩んだという事です。もちろん、組手や試合をするのですから、負けるたびにこのままでは終わるものかという気持ちを抱いたのです。強くなりたいという気持ちが、突き動かす原動力になっていたのです。それはきっと、魂を揺り動かしていたのだという気持ちです。先輩がいつも稽古に来ていましたから、切磋琢磨して、必ず答えを出すという思いが強かったし、稽古で強くなることは、間違いないという確信だけはあったように思うのです。
そして、有段者になると、すぐさま全日本に出場して、数えきれないほどの夢を抱いたのでした。稽古を続けていると、限界なんかないはずであると、可能性だけがあるように思えたものでした。みじめな修行者としての歩みで、当時は、表舞台の全日本に出場することなど夢みたいなものでした。きっかけは、田原敬三氏と共に稽古をして、二人で夢を見たところから始まったように思うのです。稽古メニューは結構つらいものがありました。苦しさ、悔しさも全日本に挑戦していく事で、力に変えていこうとする努力の跡がありました。心は果てしない未来を抱きしめて、自分の進むべき道を直視していたのです。
ところで、稽古の修行を続けてきて、その稽古に付いていけない道場生も多くおりました。結局は途中でリタイヤしてしまって、修行の道を放棄したという事です。それでも、私の場合、極真の修行を続けて来たので、決して全日本でチャンピオンになったわけではなかったのですが、ずっと笑顔でおられるような精神態度が身についてきたのです。そして、稽古の中で、強さを心から願い、走り続けて光を見つけようとしていたのです。それは、例え、極真の選手として中堅クラスであっても、ずっと自分らしく生き続けてこられたということです。そして、このような修行が、極真空手以外の分野でも、数えきれないほどの、夢を叶えられたのです。こうして、人生を過ごしてみて、誰が夢を抱くかというと、誰でもない自分でやっていくという事なのです。これは、振り返れば、涙ぐましい、並々ならぬ気持ちを負ってきたという事です。それも楽しい思い出という事です。
今日も現役です。道場生も、自分で強くなったと思うのかもしれませんが、先頭に立ってきた私が倒れない限り、道場生にとっても道は、大きく開けるはずであるという確信があるのです。伝統の上に立つという事は、何も無い人に比べると天地の差があるのです。他の人とは相手にならないくらいなのです。そんなことを意識しながら、出発しています。今日は妻と良く話し合いをしました。家族の事がほとんどですが、夫婦で生涯を築いているという気持ちにさせられます。更なる夢を抱いて、行こうと思うのでした。午後から、警察少年補導員の研修会があります。また夕方からは、菅野師範による指導者研修会があります。道場としてのこれからの夢を切り開くことに、最大の力を注いでいきましょう。