2015年5月20日(八段語録2419)
意識を大きく
極真の世界的な展開の原点をふり返らなければならないのですが、仙台に定住していると、世界の極真という観点が薄くなってしまいます。もちろん、仙台でしっかり拠点を築いていく事はとても重要な事です。しかし、極真会館全体となると、仙台だけをないがしろにするという事はできないと思っているのです。それは、仙台の極真だけが最終的な目的ではないという事だからです。極真は世界に広がりました。そのためにも、その伝統のモデルとしての手段としてしっかり、確立をしなければならないという事を痛感させられるのです。世界の極真と共にあるべく、地元としての極真であるべきであると思うのです。私の意識は、ともすれば、仙台道場という、地元志向となり、世界に関しては、遠い話になりがちです。しかし、世界の極真メンバーからするとそのような訳にはいかないのです。何故ならば、日本から極真が出発したのであり、この日本をモデルとしているからなのです。
もし、私の道場だけの事だけを考えて、自分たちの安泰だけを考えていたら、当然世界の極真会館の目的に沿った歩みはできないのです。もし仙台だけの関心だけを寄せたなら、ただの町道場になってしまうのです。そのような事にはならないためにも、ヨーロッパにも出かけるし、ロシアにも出かけるのです。そのような意味では、会長と共に世界の極真の為に闘士となっていくという事で、仙台の道場も保証されるという観点が大切であると思うのです。そのような意味では、自分だけの道場、仙台だけという事は、決して喜ぶことができる内容ではないのです。私は、個人的に四年間にわたって、池袋の本部道場で大山総裁から指導を受けました。そして、世界に羽ばたく極真という意識を植えつけられたようにも思うのです。そうであるからこそ、手塚会長と話が合うし、生前の総裁の気持ちにも触れることができるのです。
ところで、総裁と同じ心境にはなかなか立てないのですが、それでも世界の極真の為に休みなく働かなければならないであろうという観念は植えつけられているのです。そのような意味では、仙台道場を世界のモデル道場にするのが私の役割であります。私達の目的は、世界の極真の道場の見本となることなのです。このことを忘れると、地元だけの町道場にしかならないという事でしょう。それを回避するためにも、世界の極真の為に働く困難を乗り越えて、総裁の構想を自分の構想として歩まなければならないであろうと思うのです。私の姿勢も、自己中心的に生きることに対しては抵抗があるという事です。
そのような事を考えながら、今日の日を出発です。昨日大阪から帰ってきたばかりの、順香を仕事場の会社に送り届けて、社会福祉協議会の理事会や公的な行事をこなして、最後に座学を持っていますから、そのスケジュールをこなして、充実させていこうという目標です。昨日、雨に濡れて交通指導隊の役目を果たしていたので、体調をちょっと崩してしまいましたが、午前中に回復しそうです。まだ体は休めば、元通りになってくれる勢いがあります。元気なうちに、取り組みたい課題をこなしたいと思うばかりです。