2015年5月19日(八段語録2418)
ちょっと湿っています
今日は雨です。ちょっと湿る気持ちにもなります。円熟していない心なのでしょう。絶えず心の葛藤が渦巻きます。これまで順当に人生を歩んできたかに見えますが、日々葛藤です。こんなにも自分を追い込まなくても良いのではないかと思う事もありますが、真正面から向き合ってしまいます。そういう意味では、意地っ張りという事でしょうか。持論に合わなければ、決して妥協しません。おかしいと思えばついていきません。そのような頑固な姿勢があるのです。長いものに巻かれる主義ではないという事です。そういう意味では、悔しいと思えば人一倍悔しさを覚えてしまいます。感受性が強いと言われるのも、このような所から来るのかもしれません。それでも、よく食べ、よく寝て、人生をエンジョイすることは、忘れないのですから、都合の良い人生なのかもしれません。
いつも気分のいい事にはならないのですが、人の道を外さないのは、保護司という社会的責任という事にも起因しています。十四年にもなる保護司活動で、多くの更生保護に携わってきましたが、一番の私に対する救いは、自分が決してコンプライアンスから外れないという事です。結果的に法を順守せざるを得ないのです。行く道において、結構孤独な事が多いのです。振り返れば、誰もが歩んだ道ではないからです。極真の開拓者という道なのです。決してレールを引かれた道を歩んだという事は無いのです。流れる川の水を見ながら、ボウフラがわかないような清水になるような人生として歩みたいという気持ちで、極真空手に投入した日々を思いだされます。
ところで、振り返れば、極真空手に関す修行は、雨が降って軒先から落ちる水滴が岩に穴を開けるような日々という事でしょう。もちろん、色々と心の葛藤はありました。その葛藤で岩に穴を開けようとは思わないのです。しこりとなって、人生を暗くすると思うからです。ですから、なるべく恨みは避けるような行動をとってきたのも事実です。恨みの水滴を横目で見ながら、「通り過ぎれ」という気持ちが多かったのでした。澄んだ水の流れだけを意識して、安息と安心そして安全を意識してきたのでした。波乱万丈という事もありましたが、それなりに振り返ると楽しいものです。こんな気持ちで風呂に入って肩まで浸かる思いでいるのです。そういう意味では、今でも怒りが沸いてくるような事もあります。それでも、耐えることが清水を注ぎ込むことになると思っているのです。四十数年の長きにわたって、極真空手を歩んできたのですから、もう少し耐えようと思います。
今日の天気の如く、ちょっと湿ってしまいました。それでも、身体を動かすことで、心を明るくしようとするのですが、生暖かい湿った気候にうんざりしてしまいました。夜には、息子の嫁さん茂奈ちゃんと娘の順香が戻ってきます。また騒がしい日々が始まります。憤りや悔しさは、別の場所に移動させて、極真空手の拳を、こん棒や銃剣にするのでは無く、血の通った愛情に変えて歩みたいと思うことにしています。私達夫婦が築いてきた家庭です。大切に、そして大事に積み上げたいという気持ちを添えて、ブログを書き記しました。