2015年5月15日(八段語録2415)
なんちゃって極真

 これまで歴史上、数多くの武道団体が存在しましたが、極真会館ほど急速に世界的になり、かつ多くの世界の道場生を熱狂させている団体はありません。大山総裁の特徴は何かというならば、地上最強の空手を宣言し、そして実践し続けてきたという事です。かくも小さな国、日本の出身でありながら、かくも早くから世界的になったという団体は他に類を見ないのです。そして、確かに数派に分裂はしているものの、世界の道場生は、そのような事は一切気にしていないように、お互いが交流しているのです。あらゆる障害を乗り越えて、さらに克服しようとしているのです。世間から見ても、無敵の極真会館という印象を持つのです。それは、総裁が亡くなって以降も、極真の精神を求め努力しているからに他ならないのです。それは、世界の道場生の共通の事なのです。
 確かに、分裂して、日本では、お互いが仇のように思っていますが、出発の原点は同じだという事です。もちろん、闘争と分裂はつきものです。その事は良い刺激になっているのです。すなわち、お互いが刺激しあい切磋琢磨しているという事に通じるのです。それこそが発展と勝利の秘訣になるのです。だからと言って、仲良しでない、この距離感も必要なのかもしれません。今の日本の極真会館は、分派しているだけに、誰かがまとめるような事が出来る状態ではないのです。誰かが率先して、大山総裁の意志をついて一本化してまとめることなど不可能に近い事でしょう。それが現実というものです。なぜならば、お互いが反発と反感を持ちお互いが調和するなど考えられないのです。
 ところで、手塚グループの場合、他のグループを決して批判しません。誰が何と言っても信じている道を進んでいくだけなのです。たまたま会長がクリスチャンであるので、他の極真団体を憎むような事はしないのです。かつて弟子から離れていった松井氏に関しても、何れは戻ってくるという信念を持っているのです。ちょうど聖書の放蕩息子のような存在であると思っているのですから、愛情に溢れているという方であると思うのです。もちろん、放蕩息子が喜んで従ってくれるには、私達が確かな受け入れる基盤を造らなければならないという事でもあるのです。その道は、途方もなく遠いのですが、多くの存在を結びつける磁石になり得るかという事が問われるという事です。このような事を平気で考える会長をちょっと狂っているのではないかと思うのですが、確かに狂っているのです。
 そして、今なお道場生に関しては、家族という意識で接するのです。こんな会長が長生きして、見果てぬ夢を実現していく事ができるプロセスを共に歩んでいきたいと本心で思うのでした。今日も阿部先生のクラスを見学してきました。継続こそ力であるという激を飛ばしてきました。そして、今指導者を目指そうとする人が、阿部先生の教室で、今日稽古をしているのです。また手塚ニズムに染まろうとする人が現れました。私はどこまで、会長の姿勢を伝えるか分かりませんが、私欲のないような人に思えたのでた。当然、全国に会長願う師範が立たなければならないと思うので、五十人の義人が必要です。そんな気持ちで、今日は過ごしました。