2015年5月11日(八段語録2412)
自己中もいいかな

 恥ずかしいかな、自分の子供の頃は、実に自己中心性そのものでした。主体性が強かったので、それが親の目から見ても顕著に表れていました。よく母が話をしてくれるのですが、何か近所のお祝いの日に招かれて、私が、赤飯を食べていたそうですが、それで足らなくて、お代りをしたそうです。周りの、雰囲気がそのようになっていなかったこともあって、母は赤面したそうです。私が小学校五年の時、自己中心的な発想は、ますます強くなりました。そのきっかけが、担任の阿部先生という女性の教諭でした。自分の自己主張を公認するような事を良く話してくれました。そして、「自主性」という言葉を投げかけたのです。そうすることによって、自己中心性を正当化でき、かつ悪い事では無いという事を悟らせてもらったのです。
 さて、そのような気持ちで取り組んだものですから、クラスの仲間から取り残されることもありました。それでも、主体性を持って何事にも取り組むことができたのも、担任がいつも見守ってくれたからという事です。そうこうする中で、成績も伸び始めました。発言もするようになりました。気後れすることがなくなり、自信を持って自分の意見もの述べるようにもなったのです。そんなこんなで、図書委員に選ばれて、初めて、図書の事で、みんなに働きかけをするようになりました。そうすることによって、発想が変わる自分を発見したのです。図書をクラスのみんなにどのように紹介するかという事が願われると、自分の事はさておいて、クラスの仲間の為に、行動し始めた自分がありました。自分に自信を持つと、クラスの仲間のために、何かできるような行動をするものであると思えたのでした。
 ところで、そのような事と似たことが人生に起こりました。青春時代を極真空手に投入していましたので、人のことなど考える余地なく、自分を強くするという事に専念しました。まさに自己中心性そのものという事でした。ところが、妻との出会いで一変するという事になったのです。愛する人と子供達の為に人生を送るというように舵を切ったのでした。それゆえに、自分の事は後回しという事です。もはや、家族が第二の自分という事になったのでした。その為に、家族を愛するために存在し、与えるために存在するような生き方に変わったという事です。それは自己中心主義から利他主義に転換を余儀なくされたという事なのです。
 そして、今はというならば、極真会館宮城県本部を構えていますので、道場生のために何かできるかという利他主義を踏まえて、ブログも書くし、指導もするという具合に、献身的な動きもできるという事なのです。人というのは一生を見なければ分からないし、最終的には、自分の事を一生懸命頑張ると同時に、他の為に努力しようとする心があるのだという事なのだと気づかされるのです。人の心は、自分の事が成熟してくると、必然的に他の人の為にも動くようになるのではないかと思うのです。もちろん、そのようなケースにならない場合は多いと思いますが、このような発想がより健全であろうと思うに至っているのです。より健全な発想ではないかと自負してしまいます。