2015年5月8日(八段語録2409)
真面目に

 ふり返って、極真空手道に関して思うことは、頭がいいから、体格に恵まれているからと言って続けることができるというものではないのです。道場生としてそれなりに継続力、信念が備わってこそ、続けることができるのであって、つまり、それなりに、自分を磨く意志が必要であるのです。形式的には、指導者の指導に従って、一歩ずつ歩むというのが原則なのです。途中で指導者の指導に従わずに落第したらどうなるのかというと、そこで極真空手道に関しては、成長がストップしてしまうという事です。不思議に、空手をするように思うのは、何らかの動機があるのです。もちろん、親が礼儀作法を身に着けさせたいとか、少しは逞しくなって欲しいとか、親の願いもありますが、本人のやる気と、気性によるものが大きいと思うのです。継続できるのは、本人が偉いからという事よりも、家庭や指導者そして道場生同士のより良き関係があって継続することができるのです。
 さて、極真会館に入門して、道場の環境に適合して、自動的に一生懸命稽古すれば、空手における、あらゆるものが身につくのです。これは、極真空手の伝統が道場生に影響を与えるという事です。だから、道場に惰性的に来て、瞬間・瞬間いい加減に稽古して、楽をしようとむさぼるような態度は許されないという事です。だから、稽古をして成長する自分の姿を描きながら、今日稽古をすることで、自分の全部を固めて打ち込んで成長しなければならないという事を頭に叩き込むべきです。極真空手を学ぶという事は、膨大な武道の内容を稽古しながら、習得し理解するような立場なのです。
 ところで、私の稽古はもう終了したのでしょうか。決してそのような事は無いのです。人生の続く限り、稽古に熱中するのです。肉体が老化の一途を辿っていますから、少しでも修行の精神から薄れた場合には、修行のレベルの低下が始まります。今日このような稽古をするぞという誓いを立てて、生命をかけて戦うぞという決意が必要なのです。今月末には、ロシアに会長と共に生きます。その極真空手に対する姿勢は、外国の人に一目瞭然で、見抜かれてしまいます。ロシアの道場生が自動的に敬服できるような内容と極真魂を兼ね備えなければならないと思うのです。そのような意味では、極真空手の伝統に逆らうような行動が無いように、自分を戒めるばかりです。
 ゴールデンウイークも終了して、通常の生活になってきました。五月病にならぬように、心を引き締めて、計画を練って、自分がすべきことが何であるかという事を、明確にしながら日々歩みたいものです。私の場合も、アップルウオッチが健康と行動を管理してくれるので、後は精一杯日々の活動に取り組むのみという事です。何故かしら、四月末から二十日以上も天気が良いのです。雨も降らないので、畑の雑草も枯れてしまっています。それ以上に、気分も崩れる事なく前進しているのでありがたいと思うのです。