2015年5月7日(八段語録2408)
板の間

 朝から、忙しくしていました。四時半起床、博先生の家を訪ねて、活動開始です。七時半からは、交通指導を一時間街頭に立って、家に着くと疲れた一挙に出ました。それでも、やらなければならない事を整理しながら、今日を力強く出発という事でした。もう長年の夫婦生活ですから、気心が知れていて、何が必要かを準備してくれます。ありがたい事です。お互いに、初愛が結婚になったパターンですので、ぎこちない夫婦から、円滑に調和された関係になっているように思えます。当時は、私の顔は老け顔であったので、十歳以上も歳が離れているように他人には見えたようですが、実際に一歳だけで、私が年上という事だけだったのです。
 さて、そのような事はどうでも良いのですが、仙台に極真会館宮城県本部を開いてから、二十年になろうとしています。一番町の日総ビル5階に陣を取り、多くの弟子と共に歩んできました。その時は、師範代という事での指導でした。道場生の数は次第に増えていきましたが、何百人の道場生であろうとも、道場生に対しては、一人一人に誠実に対応してきたように思うのです。どんなに空手に不向きな道場生でも、その一人を相手にして、精いっぱいの真心を込めて指導したのでした。私は、前に立って指導するのが、とても好きでした。誰であろうと、稽古を始めると必死になって時間の経つのも忘れて指導したものです。求めているものが空手道を通じて何を求めているのかも察知するのでした。低次元な気持ちで来ている道場生でも、高められないかという事を意識して、指導したものでした。その道場生にとって、必要な太い綱になろうとしたのでしたが、どのぐらい指導者として成果があったかは分からないのです。
 しかしながら、道場生に対して、尊く思い、尊重して敬いながら指導した意識はあったのです。私の真摯な指導で実力をつけていった道場生も随分いました。偽りなく、極真精神と伝えたつもりですが、修行期間が短い道場生も多くいました。それでも、その道場生にしっかりと極真魂は植えつけられたのではないかと思うようにしているのです。道場の板の間は、汗で滑るくらいに稽古しました。道場の床は、汗と血でいつも濡れていたようにも思うのです。一番町の道場はテナントでしたので、もうその床は無くなってしまいましたが、しかしその床に宿った意味は深いのです。不足であれば不足なりに、そこ床に伝統があり、光があり、価値があったという事です。その伝統を知っている道場生が、今の指導者としての中核を担っているのですから、宮城県本部が滅びる訳にはいかないと思うのです。
 それでも、今は無い道場の床ですが、私の魂には刻まれているのです。血と汗を流した床は無いのですが、込み上げて思いだされるのです。私に必要なのは、その床で実践してきた追憶という事になるのです。そのような気持ちをひっさげて、今日の一日を戦うという事です。最近アップルウォッチを身に着けているので、万歩計のように歩数が分かったり、心拍数が分かったり、カロリー消費量が表示されたり、一定の活動記録が表現されます。もちろん、外的な事ですが、それ以上に内面の世界を追求するという作業を行おうと思うのです。時代の流れで、便利になっているわけですので、最大活用して、道場生の教育に力を注いでいきたいと思うのでした。