2015年5月6日(八段語録2407)
やっと準備完了
この年齢になって自分の本当の実力を伸ばすことが、何であるかという事を分かり始めているようです。今やっと現実の世界で挑戦できるという気持ちになるのですから、遅いのかもしれません。自分の能力が何であるかという事を悟ろうとする前に、極真空手に取りつかれて、打ち込んだのだから、早合点も程があるという事でしょう。それでも後悔はしていないのです。私がどのような能力や実力を持っているかも、全く分からずに、極真空手にのめり込んでいったのでした。それも自己管理ができないという一点での、悩みを伴う修行の旅だったのです。よくぞ殴り合いの組手だけを目指して歩んできた自分を呆れるやら、誇るやら、どうしようもありません。自分に対して最高の名声や尊敬を勝ち取ろうとする人物を目指ざす事無く、ただひたすら修行の道を歩み続けていったのが、若かりし頃の、私の姿であったように思うのです。
さて、もし極真空手に出会っていなかったならば、地位や名誉、そして出世欲の塊になっていたかもしれないのです。もちろん、挫折もあったのかもしれないのです。それでも、私自身を顧みず、貢献度が全てであるかのような歩みで、他の人を見下すという事になっていたのかもしれません。ある意味で向上心が強い性格であったのです。その向上心が、極真空手を通じて、組織の頂点を目指そうとすることや、地位や名誉を得るという事よりも、自分を鍛えて強くなるという道を選択したのでした。それは、自分の内面を求めて、生き続けたという事なのです。ここが私には実に良い青春時代と壮年時代を送ったという事になったのです。裏口資格のように大学院のダブルマスターで税理士にもなることができたでしょうし、組織の頂点を目指すためになりふり構わず、人を押しのけて歩んだのかもしれません。
と言うのも、私にとって個人的願望が無かったかというならば、そんなはずはないのです。青春の真っ青な青空の如くの夢や希望があったのです。大志を抱いたことも事実です。夢を抱きながら、結局は選択したことは、自分と対峙したという事なのです。地位や名誉を直接求めたのではなく、そのような地位や名誉に相当するだけの人間性を身に着けようとする、遠回りの生き方を選択したことになるのです。そのような意味では、誰も本当の友達はいなかったのです。親友の淳一・晴彦にも分かって貰るはずもなかったのです。自分で地位や名誉の道を捨てて、ひたすら修行の道を究めたというのが、私の還暦までの歩みという事です。その還暦も過ぎて、自分をもコントロールすることができるようになって、いざ出陣というのが本音のような気がします。
やっと、世間で言う地位や名誉を汚さないという気持ちが湧いてくるし、地位と名誉の向上の為に頑張るという意識が芽生えてきているのです。ただ振り返っても尋常ではない道を選択したという事です。拳に生涯をかけるのですから、ばかげているとしか言いようもありません。ましてや、極真空手が自分に合っているかという事も、検証する暇も無かったわけです。道場の先輩には、組手で負けますから、屈辱的な気持ちにもさせられながら、よくも歩んできたというのが実感という事です。それもこれも、今から生きる人生の準備であったという気持ちになれば、全ての解答になります。理屈的には、内面性を重視して、充実させて、後に外面を良くするという事になるのでしょう。