2015年5月5日(八段語録2406)
役割

 雲一つない青空に誘われて、泉ヶ岳のスキー場までドライブをしてきました。仙台の街並みが、眼下に眺められ、遠く太平洋が見えるのです。スキー場の長椅子に座っていると年中さんの男の子が家族と一緒に来ていました。声をかけて楽しくしていたのでしたが、少しアンパンマンのように空を飛ばそうとしたら、泣かれてしまいました。道場では無かれないのですが、話だけで良かったと反省です。ところで、政治をする指導者と一緒に毎日のように話しているのですが、その人は、仙台市民と生きようとする心が強いのです。それも真心からそう思っているのです。そのような政治家は決して流れ去らないと思うのです。どんなに優れている人も、水の泡のように流れ去ってしまう人もいます。その政治の指導者は、困難な環境を克服することのできる意志と実践力を持って歩んでいるのです。
 「本当に、仙台市民の事を考えて、共に生きたい」という、そのような心が本当に芽生えて、政治家として行政をも指導しているのです。「私は、市民と共に、本当に生きる政治を展開する」という固い決意をしているのです。もちろん、毎日のように市民に顔を向けて決意の程を表現しているように思うのです。もちろん安易な妥協をする人ではないのです。善悪をはっきりさせ、不備があるとするならば、時間を短縮してでも訴えていくのです。それが政治の道理に通じているように思えるので、本当の政治家のように思えるのです。私は、今まで、生涯を通じてこのような事を確認したがゆえに、更なる協力をも惜しまないと思っているのです。どれだけの助けになるか分かりませんが、天命を全うしてもらわなければ困ると思っているのが私の心境です。
 ところで、仙台市に対して、市民一人として物申すという事は、なかなか難しいように思うのですが、市民の代表として政治を司る役割を持っている政治家であるとするならば、どんなに敵が多くても、指導権、監査権を持つことができる特権が賦与されているはずです。入力と出力が一緒であるとするならば、市民の全ての陳情を百パーセント、行政を指導してもらいたいと思うのです。私は色々な事を話します。「それはこうすべきだ」と良く話してもらいます。そのような言葉を数限りなく繰り返してもらいましたが、嫌気がさしたり、疲れるという事がありません。それは、日々の政治家としての姿勢を信頼しているからなのです。
 ともかく、今日も畑に出かけました。昨年の梅木の枝を散髪したのですが、その枝を畑の真ん中で燃やして、焼き畑農業のように養分にしました。畑の周りの雑草も刈り取って、見るからに整備されました。畑を見ていると自然に心身が調和されます。家庭を愛情に包んでいこうと思うと同時に家族だけでなくその周辺に繋がる地域にもそのようにしたいと思うのです。この畑を見ていると、植物が太陽の光を命の要素として吸収しているのです。もちろん、私達の命の要素は愛情ですから、愛情の限りを尽くして、家庭と周りを見ていきたいと思うのです。驚くべき人生の価値と特権的権限を持った愛情ですから、大切にしたいと思うのも、本心の発露という事でしょう。