2015年5月4日(八段語録2405)


 人の一生はあまりにも短いものであると感じるのも、この年齢にして感じるものかもしれません。振り返るといろいろの事がありました。そして、それは何か偉大なる見えざる手で導かれたようにも思うのです。地元仙台に住んでいますから、四季折々の季節に導かれるように、自分の運勢が変化してきました。それは、実際の業績に表れるものです。季節は地球の動きですし、宇宙に連結されているという事を思えば、宇宙から保護されて、今まで生きてきたという事でしょう。そのような保護圏の中で、リズムに乗るように運勢に乗ってきたという人生であると思えるのです。そのような意味では、私の意志と宇宙の意志が重なり会って、歩調を合わせるように行動してきたという事になるのかもしれません。私の運と宇宙の運、これが重なり合うような人生という事なのでしょう。
 さて、日々の生活は心情の潮流に乗って歩んでいるという事です。それも、この歳の私は、妻と一緒ですから、二人であらゆる環境を切り盛りしてきたのです。その二人の関係は、いつも一緒ですから、愛情の絆で結ばれて強固なものになっているのです。この二人の強固な関係には、愛情の潮流が流れているという事です。時にはこの潮流は暖流のように温かく流れ、また寒流として寒々しくもなり、時には暖流と寒流がぶつかって、様々な様相を展開するのでした。当然生活するにおいては、先立つ経済が必要であるし、知識も社会的なポジションも必要になってきます。しかしながら、常に感じるのは、そのような土台の上で、夫婦の愛情の溢れた潮流の流れが大部分を占めるような気がするのです。
 ところで、「運」という漢字は、車があって「しんにょう」の道があって「わかんむり」は冠があっての構成です。つまり、私が王冠をつけて車で行く道という事でしょうか。そのような勢いが「運」という事だとすれば、夫婦共々安全運転で、人生を王冠のような権威を持って歩んでいく事になるのだという考えもあっても良いのかもしれません。確かに誰にも恥じることもなく歩んできました。天運とは関係が無かったかもしれませんが、それなりに季節に歩調を合わせて歩んできたという事です。まだ破局に至っていないという事ですから、それなりの「運」があるのかもしれません。それにしも、初夏の季節に合わせながら、気持ちよく人生を歩みたいものです。
 今日は、根白石の畑で、ゴウヤ・インゲン・キュウリの柵を造ってきました。毎年、農作業をするのですが、今年も一工夫というところです。初夏の緑が目に沁み込んできます。さわやかな風とちょっと強い日差しに包まれての農作業は楽しいものです。ちょっと早かったと思ったジャガイモでしたが、芽を出して、勢いよく育っています。茶色い畑の土にジャガイモの緑の葉が碁盤目のようにきれいに並んでいるのです。今年も豊作の予感がします。そして、温室には路地植えに備えて、ナス・キャベツ・トウモロコシの苗が育っているのです。季節に野菜がいつもように育つ姿を観察しながら、大切な日々をしっかり歩んでいきたいと思うのでした。