2015年5月1日(八段語録2402)
後輩に託す

 実に四十数年の間、極真空手を続けている自分に呆れる時もあります。稽古をすればするほど、奥が深いのです。この道を「嫌」と言ってやめてしまう事もできたはずでした。それを支えてくれたのは、親という事です。というのも、私はこの修行をする為に、人生を賭けるという気持ちで、東京に出かけたのです。贅沢にも、指定席で特急「はつかり」に乗って、四時間で上野駅に着いたのですから、決意を秘めて臨んだという事でした。それは、親の反対を押し切ってですから、途中で帰っていったら「それ見たことか」と言われると思い、嫌気がさしても頑張りぬくという気持ちで稽古に励んだという事でした。それゆえに、親の手前帰れなかったというのが実際の出来事では無かったかと思うのです。
 家出ですからとても、かっこよい修行では無かったように思うのです。それでも、ここから出発だと言わんばかりに、私の闘いは始めたばかりで、これからが本番という気持ちが強かったのです。それは、自分を鍛え、訓練し、どこまで戦える人になれるかという挑戦であったのです。若かりし青春時代ですから、実際の闘いは、思ったように真っ直ぐに進めないのです。挫折が絶えずつきものという事です。一緒に稽古をした同期生がいなくなるのです。何人一緒に歩んで残ったのかというと、ほんの一握りという事になってしまうのです。この極真という環境に生き残れた私が、今でも不思議でならないのです。
 若いですから、一人試練に耐え忍ぶという事は本当に大変であったように思います。それでも越えてきたのです。それも、ただ稽古をしたのではなく、自分の哲学、生き方、信念をどのように正しく築くかという事だけでなく、同じ信念、同じ生き方、同じ哲学を共有できる友を持ったという、ことが支えでした。また不思議な事ですが、指導者という意識を持った稽古をしたのです。そして、この極真精神を繁殖させようとする努力をするようになったのです。それが、全国に広がっている友であり、今の各県の師範という事なのです。
 とにかく、何かしら、吸収して、極真の伝統を継承しようとしたのです。そして、直接打撃性の真髄に至ろうとしたのです。そのような意味では、伝統の継承が私としての一番の願いでした。そして、教育することに意義と価値を感じたのでした。そして、行動を起こした結果が今の立場という事です。多くの奇跡が起こりました。そしていつの間にか、思いが叶うようになっていたという事は、神仏の導きを感じざるを得なかったのです。
 そして、私が今願っていることは、私よりも立派な人材を育成しようとすることです。私よりも先に行く弟子を見つけて、伝統を継承してもらい、教育して、行動してもらうという事なのです。私の複写はいらないのです。それ以上の人材を育成するところが、この道場であるのです。内容において優れた人が、今育っているのです。二代目が活躍し、その師範を支える参謀がいて、着実な極真としての生き方が広がっていく事ができるように、大きな期待を寄せているのです。だからと言って、胡坐をかいている私ではありません。今日も最前線に立って、チラシの配布からの歩みです。これからは、どれだけ後継者が育つかという事が、願いです。正しい道を一歩一歩という事です。