2015年4月29日(八段語録2400)
帰属意識
道場の指導者がはっきり知らなければならない事は、かつて、仙台で極真会館宮城県本部と立ち上げて共に苦労した指導員が、基盤を築く前に、背を向ける歩みをしたという歴史を持っているという事です。ちょっと技術的・運営的側面を知るや否や、離反していった人がいるという事を、固く肝に銘じなければならないという事です。最後まで信頼することができず、小さなつまずきの石で不満をぶちまけて、正道を全うすることができなかったという事なのです。人には必ず越えるべきゴルゴだの道があります。そのレベルの闘いは誰もがするのです。そして、その試練を越えて、最高の目的に向かって行けるかという事が重要な事になるのです。もちろん、私の人格的な未熟さはあります。しかし、その未熟さゆえに、今も身もだえしながら修行の道を歩んでいるという事です。敗北し、ふらつく人を見ると「本来ならば、寝ないで相手を打ち負かす準備をする」という事になるかもしれませんが、そんなことをしている暇はないのです。自ら自覚し、自ら衝動を起こし、自分を刺激して前進する以外に道は無いという結論を出すだけなのです。
今の指導者の皆様はどこに留まろうとするのでしょうか。自分の世界に留まってはならないという事をお願いします。私がブログを書くという事は、指導者の皆さんに、一つの目的に向かっている執念から出ているという事を理解して欲しいのです。確かに現状は、試練と曲折を経ています。末路が悲惨では、どうしようもないと奮い立っている私がいるのです。
もし、指導者が希望を失うような立場ならば、この道場は滅びなければなりません。もし滅びなかったら、私が蹴ってでも滅ぼします。このような覚悟と基準を持って、今まで歩んできました。中途半端では無かったのです。私は今でも、極真会館の一兵卒のような歩みをしているのです。この極真会館宮城県本部に誇りを持って貰うために、日夜心を込めているのです。まだまだ、十分な基盤を造っていないという気持ちでいっぱいです。大山総裁でもできなかった事を手塚会長は推し進めようとしているのです。その事を思うと、まだまだ働きが十分ではないと思うのです。
ところで、私の今の気持ちはというならば、理想の極真の目標に向かって、新しい伝統を立てようとしているのです。それを、次の指導者が継承して、実践しているという事です。万が一なされないとするならば、結局極真では駄目だったのかと言われるだけなのです。それゆえに、私は理想の極真を成し遂げるだけの抱負を抱いて見つめなければならないという事なのです。このような私という事ですから、どこかで楽をしようという気持ちにはならないのです。困難を越えまた越えていく道であるという事です。その為に、極真会館宮城県本部に対して帰属意識を持ちましょう。そうでなければ、心を失って自己中心主義に陥ってしまいます。断固と自分と向き合って、理想を極真で成し遂げていくようにしましょう。
今日は、ゴルフコンペに出かけました。いつもスコアで負けている先生を越えることが出来ました。指導をしてくれた恩返しをしてきた事になります。初夏のような気持ちの良い日差しの中で、自然の中を歩き回ってきました。