2015年4月25日(八段語録2396)
負けないぞ
かつて私は、極真空手を学ぶならば、地上最強の空手であるからして、地上最強を目指そうと、前後の見境もなく、稽古をした時期がありました。その時から、四十年も経過して、その時の気持ちと今の気持ちとを比べるのですが、全く変わっていません。自分の心に手を当てて、どうなのかと考えるのです。そうすると、今でも熱き青春の熱意は奪われていないという気持ちになります。そして、今死んでいるか生きているかと問うならば、やはり狂うように生きているという事です。色々と不都合な事が起きてきます。それでもマイペースで推し進めようとする信念だけは変わらないのです。その心は地上最強であるという事です。そして、どんな立場に立っても、私が率先してその道を越えていこう!と言い得る気迫に満ちているのです。決して負けません。歩みを止めることは、死亡に通じます。生きているものは育つようになっているのです。
私は決して萎縮しません。どのように扱われようとも、どんな峠でも越えていくという気持ちで充実しているのです。色々な状況の難しい局面に立つことがあります。今後自分の目の前に、どんな試練が近づこうとも、越えていく為の精神的な姿勢を整えるだけです。種子島のロケット発射台と同じように、そこから跳躍し飛躍するのみなのです。これは、極真空手の真髄に触れた人間だけしか、死亡の道を越えていく事ができないという事です。普通の人であったらペッチャンコに潰されてしまいますが、私は潰されません。それだけに、私は努力を重ねようと思うのです。誰にも負けたくないのです。ただ流されるものではなく、しっかり楔を打つものとしての気持ちを持とうと思うのです。
ところで、私の性格上、黙って見逃したこともありました。それは、反省です。気ままに思った事は無いのですから、しっかり議論して、より良い組織になる為の現実化の道を究めるべきであると思うのです。例え、どんなに虐げられる立場でも、議論はしっかりして、意見は述べるべきです。敵が問題ではないのです。それゆえに地上最強の空手を修めたものとしての生き様であると思うのです。私自身怖気ついていることに反省です。勇猛果敢に取り掛かっていくべきです。せっかくの立場であるから、一度失敗したならば、二度と使われないという気持ちで取り組むのです。それが、私の極真空手の道を選択した理由を、今なおはっきりさせるべきです。長いものに巻かれるような姿勢は決してしてはならないと心に言い聞かせるのです。
そのような訳で、今日の稽古もしっかりと原点に立ちながら、前進していく事ができるならば良いと思っています。波乱万丈な人生に感謝です。駅東の交流会館での稽古も、成田での稽古も実のある稽古でした。指導すべきことは、全て投入したという気持ちになります。